この間、実家に行ったらあんちゃんが泊まりに来ていた。
あんちゃんはお菓子の家づくりキットを家から持ってきていて、その家の建設の真っ最中やった。一緒にやったけど、つまみ食いがすごかった。デコレーションのチョコとかも隙あらば(いや、もはやこそこそとはせず堂々としたものやったな。)なめまくっていた。
何とか完成したけど、一緒に食べるのはな……ちょっとはばかられた。笑
あんちゃんは自由やなぁ。
この間、実家に行ったらあんちゃんが泊まりに来ていた。
あんちゃんはお菓子の家づくりキットを家から持ってきていて、その家の建設の真っ最中やった。一緒にやったけど、つまみ食いがすごかった。デコレーションのチョコとかも隙あらば(いや、もはやこそこそとはせず堂々としたものやったな。)なめまくっていた。
何とか完成したけど、一緒に食べるのはな……ちょっとはばかられた。笑
あんちゃんは自由やなぁ。
この間whatsappの通話機能でみさよさんと話した。みさよさんは、オアハカでめちゃくちゃ世話になった日本人の方で、オアハカにはもう10数年住んでいらっしゃる。
オアハカから日本に戻ってきてから、ほんまにすぐ、メヒコの方でもコロナが騒がれだした。日本は、ダイアモンドプリンセス号の件が落ち着き始めて各地で感染が徐々に確認されだしていた。という感じなので、メヒコやオアハカのコロナ禍の様子は、自分では経験しておらず実は知らない。
何か月か前に友達が「コロナのこと最初は信じてなかったけど、親戚がかかってそれから信じているよ!」と言っていたのとか、つい先日「実はコロナにかかっていて、今回復してきている途中」というていたのとか、感染が日本にいるよりはもっと身近なのかも、という風に思っていたけど、今回みさよさんと話して衝撃の事実を知ることとなった。
オアハカでは今めちゃくちゃマスク着用に厳しいのだそう。マスクなしで道を歩いてしまったら、「ちょっとあんた!マスクちゃんとしなさいよ!」と通りすがりのおばちゃんに注意されたり、店もマスクなしでは入店できないし、人数制限も行われているのだとか。
このあたりは日本よりも厳しいというか、ちゃんとしているからびっくりした。
さらに、オアハカの周辺の村々では、村単位でそれぞれの対策がなされているらしく、村民以外は村に入村することができない(村民である証明の通行手形みたいなやつが必要らしい)とか、どうしても入村しないといけない場合は、医者に書いてもらった証明書を見せたり、あるいは滞在できる時間が決められたりしているらしい。
これはなんやろう、政府とかの対応は当てにならへんから自衛するという自治の考えなのか。いずれにしても、村にはウイルスは持ち込ませない!というのが伝わってくる。
あとオアハカ内のどこの話だったかは忘れたけど、車丸ごと消毒されたりもするのだそう。車に乗っている人たちは外に出されて、内部をアルコールの噴霧液みたいなのをシャーっとかけられるのだそうだ。日本でそんな光景観たことない……!と思うと、やはり、メヒコは簡単に自分の想像の範囲を超えてくるというかなんというか。日本にいて、日本のニュースばっかり見ていると、すっかり基準が日本基準になってしまっていたな、とはっとした。
ウイルスの広がり具合や各国の対策は、もはや現地に住んでいる友達とかから聞く話が一番信頼できる情報で、ニュースを見る限りではようわからへん。インターネットとかで世界はもっと身近になってきてるんじゃなかったんか。とにかくみんな元気でこれを乗り越えてまた実際に普通に会えるようになりたいと願うばかり。
情報と言えば、今日Facebookのポリシーの改定があったのだとか。なんか今年は急に自分の心がFacebookとうまくやっていけなくなったから、遠ざかっているけど、Instagramを使っているから結局Facebookをやっているのと変わらんのやけど。個人情報がどんどんと吸い取られてプライバシーの侵害が進んで、Facebookのポリシーのところを読むと、それぞれの顧客のニーズや嗜好に合ったものを提供するために、とか書いてあるけど、それが進むにつれて、なんか息苦しくなってくるのは何やろう。自分にとって他者やAIが勝手に選んだベストなものを押し付けられているようやからかな。自分の好きなものはやっぱり自分で見つけたり選んだりしたいし、情報があふれているのにどれも信用ができひんかったり、上辺が強烈でもう咀嚼できそうにないから受け入れたくないというか、シャットダウンしてしまうというかなんというか。それを怠ったらまるで社会と分断されたような気持にさせられて、なかなか気持ちが追い付かへんかったよな、ほんま。今も追いつかへんから、こうしてブログを思いついた時に思い付くままに書いているんやけれどな。なんかすごい時代になってきたなぁ。
いい波が来てるけどサーフィンは別にしたくないから、素潜りでシュノーケリングをすることにして、なんか変なものやきれいなものを見ているという感じがする。でかい声で独り言を言いながら。「なぁ」と言い合えるパートナーや家族や友だちのことをほんまにありがたくいと大切に感じる今日このごろ。
9月くらいから地道にまさみのワークスペースを借りて、月一でワークショップをしたりしたなかで新しく知り合った人たちや、知ったことというのは小さなつながりかもしれないけどどの話もどの情報もその人の経験してきたことを共有してもらっているので、やはり自分にとっては新しく目を見開かされるものでおもしろかったし、そういう経験がこのご時世の中でできたというのはほんまラッキーやった。
遠くに思いを馳せることは、近くのことをしっかりと見つめないとできないことかもしれないと最近は思う。思いや考えを巡り巡らせることになった2020年、年が終わるころに結局身近なところにたどり着きそう、というわけなんやけどな。あと10日で今年が終わるとは。信じられへんし、なんか変な感じ。
この間みたすごい嫌やなぁ、と思った光景。どちらも老夫婦の買い物風景で1つ目は、ドラッグストアでおばちゃんがまだいろいろ見てるのにおっちゃんの方が勝手にレジに並んで順番が来て、店内中に響き渡る大声で「お母さん!何しとんや!」と叫びまわるというもの。これは恥ずかしいし、買い忘れがないように店内を見てるんやからそれは辛抱して待ってあげたらいいのに、と思った。
2件目のは思い出しただけでも悲しくなる。スーパーにて。またおっさんが大声が聞こえてきた。と思って振り返ると、酒に酔っているのかかなり乱暴なおっさんが奥さんに向かってこぶしを振り上げていた。おばちゃんはほんまにおびえているといった様子で必死で頭や顔を覆っていて、ほんまに怖くなった。公共の場であんな状態なんやから、家の中では実際に暴力を振るわれているのかもしれないと思うと、心が痛くてものすごく暗い気持ちになった。
いずれも年のころなら60後半から70代の夫婦と思われる。あの世代ではああいうのがふつうやというのは通用しない。あれ以来たまにあのスーパーで見たおばちゃんのおびえる顔を思い出す。すごく悲しい気持ちになる。
今ニュースを聞いているけど、夫婦別姓を認めるか否かでまだ議論が行われているという。別に、結婚したからと言って制を買えるのを強要しなくてもいいんじゃないかと思うけど。
こういうのはわざわざブログにしたためなくてもいいんかかな。それこそツイッターでつぶやいたらいいんかな。うーん、いまだにツイッターをうまく使えない(し、使おうともしていないかもしれない。)
全然動きのなかったメヒコ荷物。
一番最初に送ったやつは、11/25からアップデートが途絶えていたけど、 試しにMEXPOSTで追跡してみると。
12/4にオアハカの郵便局についてるやんか。友だちに連絡したらまだ手元には届いていないとのこと。4日間の空白は何?!うーん。無事に届きますように。
イタリア、スペイン、ニュージーランドに関しては大阪以来のアップデートがないから、これも心配。ヨーロッパもコロナがあれやからなぁ。どの荷物もどうか無事にみんなのもとへ。
この間から荷物を送っているけど、トラッキングナンバーをつけているのに一向に動かない……。メヒコ、イタリア……。
大阪国際郵便局に届いてそこを抜けるのはめちゃくちゃ早いのに、そのあとがやっぱりつまり勝ち。一番気をもんでいるのは11月25日にメヒコについて、まだCDMXに居座っていると思われる荷物。
12月の2週目に届かなあかんのやけど。おーい。
あり得へんところにこそ、って中島らものエッセイとかで読んでたけど、いや、ほんま。
そして、カレンダー。
壁掛け、なんと完売!!!
投じた熱量がこうして結果となってかえってきて、ほんまにうれしすぎる。
よっしゃ。洗濯物を干したら今日も郵便局に走るぞ!!!
朝のルーティーンにしようとちょこちょこ書いていたけど、最近滞っていたな。
最近はというと、朝はパッキングした荷物を郵便局に送りに出かけるという日々。カレンダーがありがたいことにすごく好調で、たくさんの人からオーダーをいただいていて、日本国内には到着したよという連絡ももらい始めてもう、うれしい限り!!
メヒコからも注文が入って、なんとサンクリストバルラスカサスから!サンクリストバルに住んでいるフランス人の方で、パッキングしながら、これ、サンクリストバルまで行くんか~と思うと、なんかすごくアツいものがこみ上げてくる気持ちだ!
今更、ユニコーンのfeel so moon、宇宙兄弟とのコラボバージョンを見ていて、鼻息があらくなっている。宇宙兄弟、テレビシリーズがそろそろ後半になってきて、熱を入れながら見ているけど、なんと原作の漫画はまだ続いているのだそうな!!知らんかった!!すごい!!
昨日は一日中パソコンと格闘する羽目になった。
というのも、パソコンが重くなりすぎないように、と細やかに保存しながら、作業が終わったファイルは速攻閉じるという気づかいをしながらカレンダーのデータをつくっていたのだ。
そして、最後にアウトライン化するためにもう一度順番に開いていこうとしたら、なぜか開けないイラストレーターのファイル。見たこともない謎のエラーウインドウが出るのを繰り貸すという始末でフリーフォントでDLして使っていたフォントに問題があるのではないかという仮説にたどり着いた。
たどり着いたところで、直す方法は全くわからない。ので、変に直す方法を探すよりも、データを一から作り直すことにしたというわけ。
でもこの間、マスキングテープの入稿でさんざんやり直しを食らったおかげで、今回の入稿は確認に確認を重ね、一発入稿OKやった。
よかったよかった。再来週には出来上がってくる予定。卓上カレンダー!!
オンラインショップを前から持っていたことは持っていたけど、あんまりちゃんと機能させてなくて、それは英語のサイトやから日本用にと思ってcreemaのアカウントも作ってみたけど、こちらの反応もよろしくはなく、そして、やっぱりああいうプラットフォームは作品が次から次へとアップされて、なかなか目に留まるのが難しいのか、たぶん閲覧もままならぬ感じで、うーん、とうなりながら結局放置気味。
去年はセントルイスのウィークエンドのマーケットや年に1度のプリントバザールに出店できたり、デンバーでポップアップショップをさせてもらえたりしたから、つくったものを見てもらう機会と、実際にお客さんと話す機会があったけど、今年はちょっとそれが叶わないので、でも一生懸命作ったものはたくさんあるから見てもらいたい気持ちもあり、Big Cartelの方のオンラインショップを充実させることにした。
Big Cartelを使っているのは、ものづくりの人たちにすごく寄り添ったコンセプトを持って運営しているからで、ありがたいことに「ホリデーシーズンが来る前にオンラインショップを充実させましょう」というメールレターが9月くらいに来ていたのだ。だから頭の片隅にBig Cartelをこのホリデーはうまいこと利用したいなと考えていたのだ。
そして、いろいろアップ作業をしてようやく昨日公開に至ることができた。今日の朝起きたら、2018年に大阪のART HOUSEさんで展示をさせてもらっているときに日本を新婚旅行中やったたまたま寄って作品を見てくれて、お買い上げいただいた夫婦の奥さんから連絡とオーダーをもらった!!!!うわ!!!!!!うれしい!!!!!!!しかも、いろいろメッセージやコメントをもらってほんまにうれしかった!
さぁ、今日もやるぞ!!!
https://ninjacco.bigcartel.com/
昨日表紙を刷って、印刷の部分はすべて完了!あとは、製本屋さんに持って行って製本してもらうのみ。今になってなんかいろんな製本グッズをアマゾンで見かけだしたけど、もうあそこで製本してもらうって決めたしな。うん。一目散にカレンダーのパートをつくることばかりしていたから、全然広い範囲で見れてなかったな。
でもようやくここまで来た!どきどきしながらオーダーの開始を伝える旨instagramに載せて、早速注文が入って、あああああああ、ほっとした!!!
カレンダーについてはさぁ、あと少し、がんばろう!!
昨日、久しぶりにまりこさんと会った。去年の大阪から約1年ぶり。
まりこさんとはオアハカで知り合って、昨日それは何年前くらいやったかな、と思い返していると、もう5年位前にさかのぼるらしい。スペイン語の語学学校に、なんだかパワフルな人がやってきたな、と思ったのが第一印象やけど、パワフルなのは変わらないけど、まりこさんの印象は知り合う期間が長くなるほどになんと軽やかな人なんやろうという印象が強くなる。
他にも軽やかな印象の友だちはいるけど、まりこさんの軽やかさは「フットワークの軽さ」という点での軽やかさだ。自分のお母さんと同じ年のまりこさんのことを友だちと呼ぶのは恐れ多いけど、いろいろな話を聞かせてもらったり聞いてもらったりしている。
昨日も、久しぶりに会ううれしさもあって懐かしい話も飛び出すものの、それに始終しないのが、まりこさんが年上やけどただの年上じゃないと感じるところかもしれない。近況などを聞いてもらう中で、最近の制作の悩みというか、感じていること、思ってることを聞いてもらい、何もできないどうしようもない状態をそれでもいい、と認めてもええんじゃないかとか、自分とは違う角度で意見をもらったりして少し背中を押してもらえたような気持ちにもなった。
たまに考えすぎてこねくり回して、ぐるぐるになって気が付けばものすごい複雑なことになっているときがある。だからなんか大事なこととかポイントが見えてなくて迷走……、みたいなことになる。ほんまはほとんどのことはシンプルやのに。だからそこに立ち返って、単純で芯があるって潔い。
アメリカの大統領選を見ている。
11月3日が投票日やったから、もう2日ほど経過しているけどまだ結果が出そろわないからなんかやきもきしながら見ている。アメリカの大統領選が気になるのは、夫がアメリカ人やからというよりも、メキシコに住んでいた時に前回の大統領選を見ていたからかもしれない。
スペイン語の語学学校で働いていて、アメリカ人の生徒が多かったというのもあって、選挙の前はみんな話題は主にそれだった。ヒラリークリントンVSトランプで、ヒラリーが勝つでしょうというようなムードを第三者ながら感じていたけれど、いざふたを開けて勝利したのはトランプだった。タイムゾーンが同じだったからストリーミングで見ていたけど、トランプ票が伸びだした時のキャスターたちの血の気の引いたような、まじでか?!という焦りのようなバタバタとした雰囲気になって、見ている私もえ?え?え??そうなん??というような気持ちになって、勝者が決定した時はめちゃくちゃびっくりした。
そして翌日、学校に行くとアメリカ人の生徒たちがうなだれていて、「昨日は悪夢のようでしたね」と声を掛けたら「違うよ、悪夢が今から始まったんだよ」と言われた。それ以降、トランプの支持者というアメリカ人に一人も会ったことがないし、メキシコにいてる限りでトランプのふるまいや言動を見ていると、なんと差別主義で自分のことしか考えていない人なんだ、とまゆをひそめながら見ていた。
だから今回の大統領選、やはり気になっていてライブストリーミングなどで見ているわけなのだ。トランプに投票した人があんなにもたくさんいて正直、驚いた。州をクリックすると、その州内の投票が詳しく見られるけど、共和党がとった州でも都市部では民主党がおおく、田舎では共和党の支持者が多いということが見て取れた。アメリカが分断しているというのが可視化されるようだ。経済などで恩恵を受けている人がいるとしても、やっぱりトランプのような人間性の人がトップにいるというのは良くないと思う。
そういう混乱を見て(もちろん、アメリカの混乱だけではなく世界中の、そしてこのコロナの中で。)、生きていく上で大事な価値観は何だろうかと改めて考えさせられるばかりだ。すごい時代に生きているな。
ある日、しょうこさんがこんな提案をしてきた。日本に帰ってきたこととか、結婚したこととか、そういうのをひっくるめて何かお祝いをしたいのだけれど、普通のものをしても面白くないから、マスキングテープをつくるっていうのはどうかな、と。
それを聞いた時、な、何やこの素敵な提案は!!!!とひっくり返りそうになるのを抑えつつ、ぜひお願いします!!!と返事をした。
オリジナルのマスキングテープをつくれるのは知っていたけど、実際に作ろうとしたこともなかったので全くの未体験ゾーンやったけど、しょうこさんがいろいろセッティングをしてくれて、入稿する段になった。入稿も、普段illustratorを使うといっても、自分でプリントアウトして使っているだけなので、そんなに綿密な細かい入稿のルールは関係なかったけど、やはり外部に入稿するということで、何回かNGを食らい再入稿を繰り返す日々。いやぁ、勉強になる。
そして、そんなエンドレスにも思えた入稿(先方の人の方が困ったやろうな……。)も完了し、待つこと10日弱。
ついにマスキングテープがやってきたのだ!!!もう、箱を見るだけで大興奮やったわけやけど、ひとつづつあけるにつれ、失神しそうなくらいにうれしい。うわわああああああああ!!!!illustratorの画面上でやったやつが、現物になって手元に、あ・る!!!
めちゃくちゃ感動してしまった。うれしかったのでインスタにあげてみると、「買いたい」と言うてくれる人もいてそれにも感動。そしてマスキングテープをつくる方法などを改めて自分で調べたけど、うわーーーー!なかなか。数個作るだけでは値段がひっくり返りそうやし、ロットでつくるにしたら個数にひっくり返りそうやし。なんとか、ええところで折り合いをつけられる方法さがさななあ。
しょうこさん、ほんまにありがとうございました!!!しょうこさんのような粋な人になりたいなぁ、と思わせてくれた、素敵すぎるギフトでした。
オープニングが変わるたびにシーズンが変わっているとしたら、この第3シーズン。なんか、急にテンポが変わって、じらす感じの攻勢で、すごい嫌。
昔の、ドラゴンボールのナメック星の時くらい進み方が微量。キャラクターのバックグラウンドとかわかったほうが面白いのは確かやけど、時間のかけ方がなー。ちょっと過ぎるのでは、ともいながらヤキモキしている今日この頃。
昨日きょんきょんがはるちゃんを連れて遊びに来てくれた。大好きな電車に乗って遊びに来てくれたものの、駅からは、大人の足でも20分くらいかかる。何とかはげましながら歩いてもらって家に到着!
家をつくりたいというから、段ボールで家をつくるのがメインイベントに。笑 あんなに小さかったはるちゃんが、「こういうやつをつくりたい」というビジョンがあって、しかも上手にはさみとかテープを使っているのを見たら、なんか子供の成長ってすごいなぁ、と改めてしみじみ感動してしまった。
きょんきょんは、この間兵庫県立美術館で特別展「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」を見てきたらしい。ものすごくよかったとのこと。11月8日までやけど、行ってみたいな……。
今週の日曜日にまさみのところでカフェサンコーズをさせてもらうことになっている。そして!今まではプリンだけの参戦やったけど今回はご飯も提供するという試み!ということで、 昨日の晩、フィッシュタコスを試作した。
トルティージャとサルサは、カルロスに教えてもらった東京の田舎の方でつくられているというところで仕入れてみたけど、これが美味~!!!トルティージャからはトウモロコシのにおいがするし、サルサの色はメヒコで食べていたそれと同じ。この荷物が届いた時点ですでにテンションがうなぎのぼりで、早くどんな味になるか食べてみたくて仕方がなかった。
フィッシュタコスなんか食べるのいつぶりやろうか?!というくらい久しぶり。私は食材をゲットすることに全力を尽くしたので味の件はジェフに任せて、いざ実食。
お、おいしいーーー!!美味~!!サルサはめっちゃくちゃやばい!おいしすぎるぜ。シラントロの風味と香りもめっちゃいい感じになった。
ちょっとお知らせがワークショップ同様いつもぎりぎり過ぎて改善をしなければあかんのやけど、おいしいのができたから、日曜日にはぜひ皆に食べに来てもらいたい……!!
スクリーンのロックオンとの戦い。
溶剤を使いすぎて手が痛い。(ほんまにちゃんとグローブしてせなあかん。素手はやっぱりあかん、とここ2日で実感。)
できるだけ溶剤は使いたくないから、ちゃんと露光して、洗って、少々のfantasmitaが残るくらいに洗い上げるようにしたい。
ちゃんと露光したと思われる(まだ確信が持ちにくい)ものを洗ったら、昨日のほぼ全面ロックオンという状態は免れたけど、まだスッキリ洗える、というレベルには達していない気がする。
また溶剤まみれになるのか、と絶望して目を落とした先に見えたのは「激落ちくん」のかけら。
「激落ちと言うてるけど、まさか乳剤はな……」、しかし、物は試しや、ということで使ってみたところ、お、おちた!!!
さすが劇落ちを歌っているだけはあるな。この発見が、今後の落版をもう少し簡単に、そしてエコロジーに行えるようになりますように。
シルクスクリーン、 Underexposedの弊害がこんなところにも出てくるとは。
版を洗う時にインク及び乳剤が取れずにロックオンしてしまうことが多々。洗い方に問題があるんかと思い、いろいろ試してみて、この間先にインクをめちゃくちゃきれいにふき取ってから再生液を掛けるとうまいこときれいに洗えた。
ので、その方法で洗ってもぜんぜん取れない。なぜだ……?
YouTubeで探して出てきたのはもうすでに何十回も見たことある動画。
昨日は倉敷で開催されていた高梁川マルシェというイベントに行ってきた。天気が本当によくてぶらぶらと街を歩くには最高のコンディション。倉敷の美観地区などは結構な人があふれていたように見えたので、前に来た時はほんまに人がおらへんかったんやなぁ、と実感。コロナやし、真夏の灼熱やったし。
なんか古い立派なお屋敷の中にいろいろなものつくりの人たちが来ていた。中でも目を引かれて面白かったのは「真田紐」という紐の繊維会社のブース。
平織のひもで、こんなに細い織物があるのかーーー、と感心してしまった。今うすぼんやり頭の中で考えている蛇腹のノートの止め紐に使ったら好さそうやなぁ、と思いながらぼんやりとみていて、お姉さんと話していると、コースターをつくるワークショップがあるというのでやってみることにした。
好きな紐を選んで手で織るんやけど、紐の太さが変わるだけでもだいぶん雰囲気が変わるし、それをああだこうだと言いながら、わいわいしながらおしゃべりながら手を動かすのもおもしろい。
各紐の色には名前がついているらしいけど、従業員さんの間では「赤・青」のやつは「アメリカ」、「赤・白・青」のトリコロールのは「パリ」などコードネームで呼んだりしているらしく、自分たちの商品をかわいく扱っているんやなぁというのが伝わってきてなんかそういうところにじいんとあったかいものを感じた。たとえ紐のあだ名が「マイケル」だったとしても。笑
出来上がったコースターは早速コーヒーを飲むのに使えるからうれしいな。あの紐の色合わせを見るたびに、ワークショップのことを思い出すだろう。
昨日は1月の版画の部分をシャカリキに刷った。この間まで真っ白やった紙に、数字が印刷され、月の名前が印刷され、そして版画。白が埋まっていって、カレンダーの見かけらしくなる。
床も版画で埋まっていって、同じイメージが連続で並ぶイメージを見るのはなんかリズムがあって気持ちがいい。
図書館から連絡があって、以前リクエストしていたジョナサンの本が入荷してもらえたみたい!うへ~!たのしみ!
昨日一昨日と、カレンダーの文字の部分を印刷した。
油性インク、ソルベンテを使わないとあかんから長時間印刷するとにおいがこもって困るけど、印刷しあがった面を触った時のポコポコ刷る感じがやっぱりいいなぁ!インクが載っているという感じですごい好き。
版を洗うとき、インクを刷ったところの乳剤が硬化してしまってなんでやろう、と思っていたから洗う方法をいろいろ試してみた。その結果、しっかりとインクを洗い落とさないと硬化しやすいということが分かった。硬化してしまうとその後の洗い落とす作業がめちゃくちゃ大変(+また溶剤。)なので、しっかりと版を洗うようにしないとな。
ベランダのコスモスが花をつけだした。ひまわりの時よりも世話の仕方がゆるかったけど、ちゃんと咲いてくれた。こんな感じでほっといてもなんとかやってくれたらありがたいけど、シルクスクリーンだけは、なかなかそうはさせてくれへん。だから、なんか劇的な上達を感じられへん。環境が変われば、マテリアルが変われば、ほんの少し何かが変われば今までうまくいってたのが急にうまくいかへんようになる。その「なんでや?!」を今までの経験を頼りに理由を見つけてトライ。そして改善あるいは解決に。一筋縄でいかへんからこそこんなにものめりこんでいるんかな。よし!!がんばろう。
昨日、めちゃくちゃきれいに晴れていたからスクリーンを現像した。
うまいこと現像できたと思ったけど、刷ってみると、細い線がギジギジする感じがした。スクリーンの目も200やったからあれくらいの線は再現できるのかと思いきや、目に対してまっすぐ線があるわけではないから、どうしてもギジギジになるっぽかった。文字だと線が短いからあんまり目立たへんけど、長い直線となるとやっぱりちょっとかっこわるい感じがする。
ということで、やり直しやな。紙は最低限買える量が櫃療養の2倍以上やったから失敗はできる。(たくさん失敗するのも困りものやけど。)
1年前の今日もしゃかりきに刷っていたみたい。そして、日本に行く直前やったから今年よりも刷り上がりが速い。うわ!遅れてるんか?!笑
それと、もう一点。
ついに油性のインクをゲット!そして、試した。紙によると思うけど、刷りたては結構てかっとした感じやけど、乾くとマット。カードボード氏みたいなやつに赤を刷ったら、乾いたらサーモンというかピンクっぽい感じの印象に。
でも、手触りがポコポコとしていて、いい!インクをのせましたよ!という感じがして。
日曜日は、まさみのところへワークショップへ。
前回のワークショップから日が経っていないのと、宣伝不足(インスタだけではもはや限界なのか?!)もありサインアップは1件のみ。でもまぁ、のんびりとしゃべりながら楽しくできたのでよかった。
山本さんはこれまでにもワークショップを何回か受けてくれているんやけど、ワークショップをしてからお茶も一緒にしていろいろ話を聞かせてもらえて面白かった。
この週末は、zoomで自分自身も昔の友だちとしゃべれてなつかしい気持ちになったし、それをみてジェフも学生時代にめちゃくちゃ仲が良かった友だちと連絡を取っていて、実際にテレビチャットをしていてすごいうれしそうで、私はそれを見てまたうれしい気持ちになった。まさみのところでも顔見知りの人ができてきたり、初めての人にもちょっと「こんなんやってますねん」というのを話して聞いてもらうことができたりして、人とのかかわりをじいんと感じた。いい週末やった。
帰り、知らん番号から電話がかかってきて誰かと思ったらこの間のアコーディオンのおじいさんやった。内容は、実は本も出しているというのをこの間言いそびれたから近所に来たら、ぜひチェックしに来てほしい、とのことだった。パワフル!見習わなあかん、まじで。
コロナが始まってzoom会議とかのワードをよく聞いていたけど、実はまだ使ったことがなかった。
しかし!このたびついに、使う機会が!
とよこちゃんが、以前ALTとして日本に住んでいた時に仲良くしていた友だちグループに声をかけてくれたのだ。久しぶりやし、zoomもあるし、みんなでしゃべってみよう~!という会。
兵庫、岡山、東京、カリフォルニア、サウスキャロライナ、バンクーバーにいるみんながオンラインでわいわいと。日本は朝で、西海岸は夕方。
それぞれのみんなとはたまに「元気~?」と連絡をとったりしていたけど、こうしてみんなで集まるのはものすごい久しぶり。
レストランに行った話をすると、カリフォルニアなどではまだレストランでの飲食はできないらしいから、めっちゃ驚かれた。アメリカは、各州や各自治体で対応や規制のレベルがかなり異なるらしい。
久しぶりやけど、久しぶりの気がせずにr コロナが始まってzoom会議とかのワードをよく聞いていたけど、実はまだ使ったことがなかった。
しかし!このたびついに、使う機会が!
とよこちゃんが、以前ALTとして日本に住んでいた時に仲良くしていた友だちグループに声をかけてくれたのだ。久しぶりやし、zoomもあるし、みんなでしゃべってみよう~!という会。
兵庫、岡山、東京、カリフォルニア、サウスキャロライナ、バンクーバーにいるみんながオンラインでわいわいと。日本は朝で、西海岸は夕方。
それぞれのみんなとはたまに「元気~?」と連絡をとったりしていたけど、こうしてみんなで集まるのはものすごい久しぶり。
レストランに行った話をすると、カリフォルニアなどではまだレストランでの飲食はできないらしいから、めっちゃ驚かれた。アメリカは、各州や各自治体で対応や規制のレベルがかなり異なるらしい。
久しぶりやけど、久しぶりの気がせずにしゃべっていい時間やったな。
を買うべきか、待つべきか、迷っている今日このごろ。
買いたいやつはamazon.comにしかなくて、そうすると送料が。でも類似品(同じ効果があるかはわからない)を日本で買おうと思ったら、なんか出品者が中国とかで怪しさが満点やし。
悩ましい。
日曜日は高砂のオクトーバーマルシェへ。
とよこちゃんと合流して、駅でジェームスと待ち合わせして4人で街歩きを開始。私はぶらぶらと歩きまわり始めて人がいる方に何かあるやろうからそれを見つけたらそっちに向かっていくタイプやけど、ジェームスはちゃんと誘ったときに送った地図をチェックして会場の方向を調べてくれた。久しぶりにジェフ以外の(しかも複数で)知らん町をうろうろするから、なんかそれだけでうきうきしてくる。
日曜日やったからなのか、もうそういうエリアなのかわからないけど結構シャッターのしまったお店が多かった。韓国風の名前の焦点が点々とあるから、何やろうなぁ、とか言いながら、焼き肉屋を発見して、「ピビンバ」にはやから心躍る私であった。
福山のような昔ながらの街並みかと思いきや、一部そういうところもあったけど、どちらかと言えば昭和後期の住宅街といった趣だった。駅前にあった下が商業施設になって上がマンションのようになったビルに、昭和の遺産という印象を受けた。白浜の宮の駅の近くにあった「ニューセンター」というところを思い出した。
小さいころに住んでいた家の近くにあった「ニューセンター」は商店が一か所に集まったショッピングモールのはしりのようなやつだったけど、大きな商業施設(今でいうイオンモールみたいなやつ)ができてだんだんすたれていった。風邪をひいたら当時車の免許をまだ持っていなかったお母さんの自転車の後ろに乗って、病院に行って謎の味のする飲み薬をもらって、帰りにニューセンターでサンキストのゼリーを買ってもらっていたもんだ。だから、なんというか、ノスタルジーみたいなものをそこには感じる。寂れて廃墟になってなんとなく荒廃したイメージの中のノスタルジー。もう令和やもんな。
古道具をぶらぶら見て、その中にタイプを発見してテンションが上がった。日本語の感じのタイプである。まさみの出店しているところに顔を出して、生き生きと店番をしていて、イベントのために用意したというキーチェーン「ネコチャーン」についていろいろ教えてくれた。やっぱり思いを込めて作ったものというのは伝わってくるからいいなぁ。ゆきさんのバッグにしろ、まさみのネコチャーンにしろ、込められた思いは違えど、込められたものは作品からじわわわわんとあふれ出している。
せっかくやからアップルパイとかそういうのも食べたかったけど、どこもいっぱいでいつありつけるかわからへんかったし、そうこうしているうちにお腹もすいてきたから一路焼肉屋さんへ。「準備中」の看板がもうかかっていて、ぎょーーーー!!となったけど、ダメもとで「もうランチ終わりました?!」と聞いてみると「まだ大丈夫」というおかみさんの声。神過ぎる。
しかも鉄板で自分で焼いていいタイプのランチやって、めちゃくちゃ久しぶりに食べた焼き肉に大興奮。ああ、おいしすぎた。
そのあとは、シベリアこうりゅ中にベルリンフィルハーモニーから演奏を教えてもらい、94歳で現役でアコーディオンを弾いているというハイパーなおじいちゃんに会った。めちゃくちゃ元気で、そして力強い声。自分の好きなことをしている人というのは、本当にまぶしい。そして、それを伝えたいという前のめりの感じを見習わないといけないと思った。
大充実の週末。よっしゃ、がんばるぞ!!
土曜日、ゆきさんとゆうじさんの展示を観に福山に行ってきた。ギャラリーでお二人の作品を見たことがあるのは、実は数回。
ギャラリーに到着すると、ちょうど午前のお客さんの波が引いたころだったみたいで贅沢にもゆきさんの話を聞きながら作品を見ることができた。
もともと造形作家だったゆきさん。子どもが生まれたのをきっかけに、布作家として今まで制作されている。一番最初に生まれたぐるぐるバッグから、直線が美しいマットまで、何もないところから何かが生まれ、それとともに時間を経て、また新たな想いや意思が生まれてそれを形に。その行為はぐるぐると繰り返されて、生み出される作品は、形や目的を変えているけれど、同じところを回っているというよりはあっちへこっちへ軽やかに旅をしている感じがした。どれも持ち主に寄り添って時間を過ごしてくれるのだろうな、という優しさを作品から感じるのはゆきさんが自分やくらしと向き合い、そのなかで生まれてきたものだからに違いないと思った。
2階は、素敵な屋根裏部屋のような空間で、そこにマットがざっと広げてあって、天井からはゆきさんが色合わせの試作などに作ったりしたという丸い布が透明のテグスに通されて上からつるされてあって、それがちょっとした空気の振動で絶えずにゆらゆらとしている。ぼんやりと過ごすのが気持ちよさそう。それらを見つめながら、ゆきさんから語られる言葉に耳を澄ましたら、なんかゆきさんが大好きだという海を一緒に見つめているような気持になった。(そのあと鞆の浦にいって海を眺められるカフェに行ったら、ゆきさんが言っていたみたいな白い海と空が層をなしているのを見て、ああ!となった。)
ゆうじさんの作品は、デッサンと彫刻。「手は動かしとかないとね」とモデルデッサンを何十年も続けておられるゆうじさん。画面には無駄な線がなくて、でも見ていると躍動感というか生命の感じがもりもり押し寄せてきてなんかくぎ付けになってしばらく見てしまった。迷いのない丸い線から安心感を感じるからかなぁ?!
行ってよかった、福山。よし、がんばろう!
10月になってしまったから、ちょっとすでにビハインド気味。しかし、今年もやりたい。やる!
去年と勝手が違うのは、材料をどこで仕入れたり、製本をどこでしてもらえるのか、そしてそれらはいったいいくらかかるのか、というのがわからない点。
メヒコでは紙の問屋みたいなところに行って大きな紙を買ってそれを裁断してもらったり、文房具屋さんに持って行ってリング製本をしてもらったりしていたけど、さて、それを日本でやろうと思ったらどこに行ったらいいんや?!というありさま。
まずは、製本屋さんを当たってみることにしたけど、たまたまinstagramで見つけた昔ながらの製本屋さん。なんと市内にあるというので、早速足を運んでみると、おばちゃんたちが所狭しと本をつくっていらっしゃるような下町の、なんというかメヒコ的な感じのするところだった。
instagramが結構シュッとした感じに反して、作業場は紙が積み上げられて淡々と黙々とみんな自分の作業をするという感じだった。話を聞いてくれたおっちゃんも、在庫があればなぁ、と言いながらリングなども見本を出してきてくれたり相談に乗ってもらった。一応カレンダーを持って行っていたので、こういうのが作りたいという旨伝えて、余りに子のおっちゃんが詳しいので、「こういう紙って日本でありますか?なんて言いますか?」と紙の話に。
すると、見本帳を出してきてくれて、普通のお店では見かけないような紙の見本帳を見せてくれて、メヒコで使っていたあれに似たようなのがあった。うわ、ドキドキする。
お昼ご飯前やし、どこか出かけないといけない用事もあるらしく、あるいはそういう性格の方なのかわからないけど、おっちゃんも早口でそわそわしているから、長居は厳禁。とりあえず紙の見積だけをってもらって店を後にした。やばい。鼻息があらくなっている。
この間、何か家を出る用事をつくらないと、と思って、そうやポストに手紙を送ることにしよう、と思い付いた。そして、かねてから想いを伝えたかった東野幸治の幻ラジオにファンレターを送ることにした。
テレビもない我が家。ニュースや動画はインターネットで見ているけど、最近作業中などはそういう動画というか、ガチャガチャ動き回ったりするのもしんどいなぁと思っているから、音声だけのが本当に落ち着くし、聞いていられる。でも、映像も何もないただのおしゃべりだけを聞かせるとなると、やっぱり話し手の話術や魅力がないと聞き続けられへんから、幻ラジオはもう70回も聞き続けているんやから、やっぱり東野幸治がめちゃくちゃおもしろい。というか、めちゃくちゃ好きなんやろうな、私が。
一昨日も、久しぶりに街に出て大きな本屋に行ったらカフェが併設になっていて本屋の本を持ち込んでもいいというシステムだったので、東野幸治著「この素晴らしき世界」を一気読みしてきたのだ。その視点と切り口は独自性が強いけど、ベースには常に「その人のことをおもしろい」と思っている気持ちがあって、時に辛辣な感じすらも支えて包んでくれているからなんか愛を感じる。
72号を何気なく聞いていると、お便りが読まれはじめ、なんか記憶にある内容やと思ったら、これは先日歩くためにしたためたあの手紙じゃないか!
ちゃんと渋谷郵便局に届いて、それを東野ダディが取りに行って、家のリビングで目を通して、さ~て収録するか!となった時に、今日はこれを読もうかな~、と選んでくれたのかと思うと、すごいにやけた。
自分で刷ったグリーティングカードを使ったから、もうちょっとさかのぼれば、無地のカードを発注して、版を作って、露光して、印刷して、折り目をつけてという作業も思い出される。なんかこう、長い工程と道のりを経て(でも全部の工程が明らか)で、最後、誰かのもとに届けられて読まれる、という一生を全うしたのだな、手紙セットよ、と思うと手紙が読んでもらえらというのとは別に、それもまたうれしい。
手紙とかラジオとか(YouTube発信なのでインターネットでもあるけど)の距離感と時間の感覚、改めていい具合だなぁと思う。
今日から10月。快晴、秋晴れ。手紙も読まれて、何かすごいにやけるなぁ。興奮して文章が長くなりすぎた。さ、働こ。
日曜日に、まさみのところでシルクスクリーンの印刷体験会のイベントをさせてもらった。
今回は、シルクスクリーンの印刷体験会。あらかじめこちらが用意したイメージを刷ってもらうというもの。
ぶんちゃんがおっちゃんとゆのちゃんを連れてやってきてくれた。ゆのちゃんは3歳。おしりとかおしっことか言うだけで大爆笑をかっさらえるというお年頃。とよこちゃんもいたのでもう、楽しくて仕方がないという感じやった。
しかしいざ本番、実際にスキージーを握るとめちゃくちゃ真剣なまなざしに。もちろん3歳児の力では濃く印刷などできないから、「上手!」と言いながら、あとでおっちゃんに力強く刷ってもらって仕上げをしてもらうということに。上手に刷り上がったのを見て思わず、うわあああとテンションが上がり、まだ乾いて言いないインクに思わずタッチしてしまったけど、真剣モードが一気に解除されて、その瞬間またぱああああっと周りが華やいだ感じがした。
その後は、まさみにスペシャルお子様ランチを用意してもらってウインナーをほおばったり、オレンジジュースを飲んだり、プリンを食べたり、遊んだり、今日が今まで生きてきて一番楽しい日!!!という感じで楽しそうにしていた。そして帰る時間になったら、結構自分から進んで車に乗ったりと帰路を急いでいた。ぶんちゃん段によると、車をだしてほんの30秒くらいは知らせた時点でもう眠りこけていたらしい。オンとオフ!!!
ほんま、いつも子供と会ったらそうや。瞬間がとにかく輝いている。もううらやましくて仕方がない、ほんまに!!
印刷体験会にはまさみにも参加してもらって、まさみのところの常連さんたちにも何名か参加してもらって、みんなそれぞれイメージを選んだりインクの色や印刷位置なども考えたりと、ええ感じで仕上がったから、ほっとした。
今回は、時間の節約という観点からも、ビサグラ(蝶番的な)を使わず手で押さえるという方法で押さえたけど、刷るときの緊張感というかドキドキ感が刷り手からビシバシに伝わってきた。すごい緊張。真剣が放つオーラを間近で直撃して、抑えているこちらも思わず息を止めてしまっていた。いい一日やった。
映画 「あん」を観た。
2015年の映画だから、今更かい、と思われることを承知で叫ぼう。(しかもでかい声で)
いい……!!!
めちゃくちゃよかった。いろいろ言えば言うほどこの映画の良さがそがれてしまう気がするので、それ以外にもはやいうことがない。
あんこが食べたくなったなぁ。おいしいどら焼き食べたいなぁ。生きるって実はものすごくキラキラとしていることなんかなぁ、とか。日本の季節の移り変わりが画面を通して鮮烈に映し出されて、希望とか、予感とか、悲しみとか諦めとかなんかいろいろな感情が渦巻いて、樹木希林さんに本当に心を打たれた。市原節子さんにも。
うっ。結局いろいろうじゃうじゃ言うてしまっているじゃないかい。ほんま、いい映画でした。
「乳と卵」という小説を読んだ。
普段読む本が偏っているからなかなか読んだことのない人の本を手に取るのは珍しい。メヒコ時代の上司が今東京に住んでいて、なぜか彼の口からこの小説の名前が出たのだ。
図書館に行ったらあったので早速借りてみて、さっそく読んでみた。
大阪弁でやり取りされる感じと、描写が臨場感があっておもしろかった。緑子が母親と話すことをやめて筆談でいろいろなことを伝えたり、思ったことを書きつけたりしているのは、「リトルミスサンシャイン」の男の子のことを思い出した。
小さな世界で、関わる人もそんなにいなくて、一番身近で理解してほしいのに理解してもらわれへん。あるいは理解したいのに理解できひん。なんでなん、なんでそうなん。もういややわ、というぐるぐる。
なんかものを書くことの一つの理由な気がする。自分と世界との距離感とか、自分の世界とか。
この間、instagramにDMが届いた。
「あなたのプリント、どこで買えるのかしら?」
と。うわーーー!うれしいなぁ、と早速返信。と言うても、私のプリントなんておいてもらっているところが少なく、問い合わせてもらったプリントはオアハカにしかない。
「今どこですか?もしかしてオアハカ?万が一オアハカにいたら○○というギャラリーにあるかも」
みたいな内容を返すしかなく、その返事を見ると、彼女はニュージーランドの方で、今旅をしていてオアハカにいるのだという。コロナのさなか、長期で旅を続けている人もやはりいるのだな、ということにも驚いたけど、私が今日本にいることを伝えたら、旅をもう少し続けるから、もし可能であればニュージーランドの家の方に送ってもらえたらうれしいとのこと。
オアハカにいた私に、オアハカに今いる人が頼んでくれたものを、日本からニュージーランドへ発送する。
なんて、一昔前では考えられへん状況やったけど、こういうことが起こるたびにインターネットってほんまに世界の距離を縮めたなぁ、と感じる。
ほんまのほんまにありがたい限り。
しかしそれにしても、私のプリントのことをどうやって知ってくれたのか(偶然instagramで見つけたのか、とか)気になるので聞いてみたら、オアハカ滞在中にどこかのギャラリーで私の作品を見てくださったとのこと。それで気になってinstagramを探してくれて、さらに気に入ったものを見つけたからコンタクトをとってくれたというわけだった。
うわー、アツい。コツコツがんばろうと思った。
4連休、3日目は備前市日生町にあるBIZEN中南米美術館へ。
ある日、どこかの美術館でもらった冊子で見つけたのだ。なぜ岡山の海の町に中南米の美術館が……?!とめちゃくちゃ気になっていて、ようやく行くチャンスが。
日本で初めてサブスク制を取り入れたという美術館で、1口3000円からサポーターになれるとか、やたら充実したウェブサイトとかも気になっていたけど、行って納得。館長さんがめちゃくちゃアツい!!!
今の展示は「MAYA戦国物語」。マヤ文明は、文字を持っていた文明だけれど、今までその解読が人間によりコツコツと進められていたけど、近年AIの力によりものすごいスピードで進んでいるとのこと。館長さんの話によると、それによって新たに分かったことがたくさんあって、日本の戦国時代のような、大河ドラマにでもできそうなドラマティックでダイナミックな物語がたくさんあるのだという。記録も本(ジャガーの皮の表紙で、木のページが蛇腹折になったもの)スペインが侵略にやってきたときに4冊をのぞいて全部処分されてしまったのだそうで、主に石に刻まれたものを解読しているのだそうだ。
文明や歴史に疎いので、説明をがんばって読んでみるけどちょっと時系列や名前がすっと入ってこないところもあり、嗚呼、勉強不足……と思いつつ、出土品などを鑑賞して純粋に楽しむことにした。造形や表情がおもしろく、彩色や模様も興味深かった。
その日は、会員さんのイベントがあったみたいで、私たちが見ていると会員さんの会合が終わった後に館長さんが下に降りてきて、せっかくですからと言って展示品の笛をいくつか吹いて音色を聞かせてくれた。展示品をあんな風に取り出して、しかも音まで奏でてくれるのはさすがに初めて見てびっくりしたけど、館内に響き渡った音色は耳と心に染みた。
あの館長さん知識がめちゃくちゃあって話をなんぼでも聞いておけそうなんやけど、それを超越する愛。しびれた。そして、美術館を出た後なんか興奮気味にVIVA MÉXICOと鼻息があらくなっていた。熱意を伝えるパワー、あの館長さんはすごい。
4連休。いつの間にかこの秋の連休はシルバーウィークという名前がついたみたいで、先週の金曜日から今日までがちょうどそれ、というようで。
4連休の初日は、まさみのお店「イシヅカ靴店x靴屋カフェ」にてサンコーズとして一日カフェ。まさみがワークショップを開催するので、その間、カフェの店番、というか、せっかくなので自分たちのやりたいことも入れつつわいわいやろう、という試み。
サンコーズのメンバーは、とよこちゃん、ジェフ、私。今回は、まさみが準備した通常メニューとしてあるカレーに加えて、我々が準備したプリンをラインアップに加えて挑んだ。ワークショップではキーケースやコインケースをみなさん上手に作っていて、出来上がったのを「こんなんできましたー!!」とみんなうれしそうに見せてくれて、プリンも食べて行っていただいていやぁ、ありがたいなぁ、と。
1年生のおんなのこも、お父さんの力を借りながらやけどめちゃくちゃかわいいコインケースをつくっていて、恥ずかしそうに、でも一生懸命頑張ったところなどを教えてくれた。1年生であんな立派に針と糸を使ってものをつくれるなんて(しかも皮とか縫うの難しいやろうに)ほんま驚いた。お父さんがこういうイベントを見つけてきて一緒に参加してくれるというのも素敵やなぁ、と。小さいころから自分でものをつくる楽しさや喜びを体験できるっていうのはほんま、素晴らしい。
カフェの方は、シルバーウィークということもあり、遠出した人が多かったのかそんなにたくさんお客さんは来なかったけれど、まさみのところの常連さんに高砂の町で10月に行われるイベントのことを教えてもらったり、高砂にはちょこちょこといろんなお店やイベントが行われているみたいで行ってみたいなぁという気持ちがにょきにょき。
初回のサンコーズはゆるやかにでも和やかに楽しくできてよかった。来月は、もうちょっと職を充実させてまた出店するので今から楽しみ。むへへ。
久しぶりに、うおおお、この映画を見てみたい、というトレイラー見て思った。「mid90s」である。
90年代半ば。
口に出して言うてみるだけでなんとなく甘く、うっとりする。私はスケボーキッズでもなかったし、ヒップホップを聞いていたわけでもない。でも90年代に思春期真っただ中で、洋楽を聞き始めてみたり、本を読んでもやもやとうじうじといろいろとぐるぐるしていたな。それは今でも変わらへんのかもしれへんけど。
弟と両親が買い物に行った瞬間にこっそりスーパーファミコンを取り出して遊んだり、一輪車を無駄に練習したり、自転車を立ちこぎして駄菓子屋に行ったり、友だちと真冬の夜中に流星群を見るためにもこもこにだるまみたいにいろいろ着込んで地面に寝転がって空を見上げるとか、学校からの帰り道次の日も会うくせにどうでもええ話を最後の交差点のところでいつまでもだらだらしゃべったり、自転車を二人乗りしていたら溝にはまったり、行き先も決めずに始発の電車に乗り込んでとりあえずいけるところまで行ったり……。
90年代から00年代前半は、あほすぎる思い出がいっぱいやな。そのころに聞いていた音楽を聞いたら映像やにおいがよみがえってきそうな妙に生々しい温度の時代だ。
苦くてどうしようもなくてダークで何もできない。でも甘い、そういう気持ちをぐっと抱きしめたくなる。映画を見ながら映画の中の少年たちの気持ちに入り込むというよりも、映画をおいながら、自分自身のそういう気持ちを引き出されたような、見終わった時にそんな気持ちになっていた。
いい映画やった。
昨日、アスパラの肉巻きをつくった。味がよう染みたらおいしいやろう、と思ってフライパンをほったらかしにしていたら、何やら香ばしいにおいが。
と気づいた時にはもう焦げていた。ああ、残念。残念過ぎる。It happens(まあそんなこともあるって)と言われても、アスパラガスを食べた後の独特のおしっこのにおいをかぐと、「ああ、昨日焦がしたな」と思い出してしまうのだ。くうう、悔しいなぁ。
アスパラガスを食べた後、尿のにおいが変わるというのをつい最近教えてもらったけど、今ネットで調べたらどうやら、全員が全員その匂いの変化をかぎ分けられるのではないらしい。
https://diamond.jp/articles/-/154624
おもしろいな。
昨日、夫が帰ってきたら車でピュンっとコーナンに行こうと考えていた。帰ってきたから、「ほなー!」と出かけようと思ったら、謎の黒い物体を差し出された。
聞くと、車から出ていたとのこと。黒いひも状の布にはメーカー名と品番が書いてあったからそれを頼りに、早速インターネットで調べてみた。すると、ファンベルトというものらしかった。完全にベルトが切れたわけではなくカバー(?)部分のところが外れただけっぽいけど、そんなものが切れたまま車を走らせるのも怖いので、修理してくれそうなところを探すことにした。
いつもガソリンを入れるガソリンスタンドを通りかかると、車の点検も行ってそうな感じだった。一応聞いてみるとやはりファンベルトが劣化しているっぽいと言われた。部品を取り寄せるのに時間がかかるみたいなので、ディーラーに行ってみることにした。
中古で買った車で、買ったときに車検をつけてもらったきり特に点検らしいことはしていなかったし、ディーラーへも持って行ったことはなかった。スズキのディーラーに行くとまだ電気がついていて開いてそうだったからほっとした。
店内の電気はついている(し、何より自動扉で中に入ることができた)のに人がいない。呼び出しのピンポンもベルもないからどうしたものかな、と思っていると奥の整備するところからお兄さんが出てきた。
例の謎の黒いひも状のやつを差し出して、事情を説明すると早速ボンネットを開けてみてくれた。この動作ですでにさっきのガソリンスタンドで見てくれたお兄さんと全く違うかった。さっきの人が、「まぁ~、おそらく……」という感じで説明してくれたのに対してこのお兄さんは、どういう状況なのかをわかりやすく、そして的確に教えてくれた。
直せるかどうかはやはり部品があるかどうか次第になると言われたが、それもすぐに確認してくれて、部品があるとのこと。しかも、閉店30分前なのにもかかわらずすぐにしてくれるという。
もうその時点でこのお兄さんへの好感度と信頼度が爆上がりやったわけで、忠犬ハチ公のようにいつまでも待とうと決めた。そんな大げさな覚悟とは裏腹に、ものの20分ほどで完了した。中古車で買ったからあんまり車の状態がよくわかってなかったけど、エアコンを使いだしてから聞こえるようになった謎の音が気になっていたので「実はこんなことが気になってまして……」とお兄さんに音のことも相談してみた。すると、考えられる原因の可能性を列挙してくれて、実際にまたボンネットを開けて音を確認したりなんだりしてくれて、フットワークの軽さと気さくに対応してくれる様子に感激してしまった。新しい町に越してきたことと、コロナのこともあるしあんまり誰ともかかわっていなかったので、こんな風に談笑しながら人と接するのもなんか家族・友達意外とは最近してなかったなぁと思う。
話を聞いてもらったら、オイルの交換時期をとっくに過ぎていることを教えてもらい、今度オイル交換がてら内部をもう少し見てみてくれるということになった。中古車やから、もしかしたら何人かのオーナーを転々として、みんなに「中古やし」的に乗り継がれてあまりメンテナンスしてもらえてなかったのかも?!というか、我々もそんなにしてなかったかも、とちょいと反省。
それにしても、あのお兄さんに車を見てもらえてほんまに助かった。車は毎日使うので、なんか部品が足りてないまま数日とはいえ走りつづけるのも不安だと思っていたから、無事に治ったのもうれしかったし、あのお兄さんのような人に直してもらえたのて本当に良かった。やっぱり、道具やものは大事にせなあかんし、信頼できる人に見てもらえたらほんまに安心感が得られるなぁと、コーナンで買いたかったものを買えずともなんかいい気分になって家に帰ってきたのだった。
オアハカにいてるころからSpotifyを有料で使い始めた。無料で使っていたのがあまりにCMが多いので、メヒコでプロモーションをやっているときに安く始めたのだ。CMが無かったり曲をDLしてオフラインでも聞けたりするというのはやっぱりめちゃくちゃ便利で、無料トライアルが終わっても結局そのまま契約して使ったままになっている。サブスクって結局そうなってしまうんかな。でもまぁ、助かっているからありがたい。
長年新しいバンドを発掘するとかもしてなかったし同じ曲ばっかりを聞いてしまいがちになってたけど、Spotifyを始めてからはええ感じに自分の好きそうなジャンルとかをYour Daily Mixとしておすすめしてくれて新しいバンドを発掘できたりして楽しんでいる。
それでBad Religionのかっこよさに改めて気が付いて、めちゃくちゃにはまっている。Bad Religionがまだバンドの活動を続けていたのにも驚いた(だって、私が高校生くらいの時にはすでにゴリゴリに活躍していてたから、彼ら一体もう何歳なんや?!と)。なんと昨年2019年にはニューアルバムまで出して、現役バリバリでライヴ活動も行っているのだ。
Bad Religionは、いわゆるパンクバンドで政治や世界に対するメッセージがかなり濃いけど、そういう音楽をつくるってめちゃくちゃパワーがいると思う。怒りであったり、疑問であったりを抱かないといけないから。そしてそれらの感情はめっちゃパワーを使う感情である。それを一体、何十年続けているんや?!と思ったら、もう、Bad Religion----!!!!渋すぎる!!!!と改めて惚れてしまったのだ。
はまったらとことんやから、昔(そして最近のも)のインタビューを見たりしていて、
「メロディとリリックとどちらが大事と思いますか?」
という質問に対して。
「リリックやな。それが伝えたいことやから」
で、ごくりとつばを飲み込みながら聞いていると、こう続けた。
「でも、そのメッセージを聞いてもらうためにはいいメロディじゃないとあかん。だからもちろんいいメロディをつくることが大事。」
と言っていて響いた。
発信することは意外に敷居が低く誰でもができるけど、それを全員に受け取ってもらえるとは限らへん。受け取ってもらってはじめてそこにこめたメッセージとかが伝わるんやから、結構な道のりや。
最近のインタビューでは、最新アルバムに対して「めっちゃいいのができたから、これが俺たちの最後のアルバムになったっていいと思えるくらいだ」と話していた。
いいものをつくる、か。
それを何十年と続けていて、今も全力でかっこいい。憧れるなぁ。ああいうかっこええ大人になりたい。
そして、もうひとつBad Religionにしびれたのは、初期のアルバム(80年代!!)を聞いた時に、音も声も若いけど、何曲かに1曲はすでにだれがどう聴いても「Bad Religion」なのだ。そんな一番最初からすでに芯が完成されていて、そのイズムをずっと抱えたままよりBad Religionになっていっているというそのブレなさを見た(きいた)時に震えた。
かっこええ、Bad Religon。コロナでこんな時代になってしまったけど、今後もしどこかで見られるチャンスがあったら絶対に見にいきたい。
今住んでいる家にテレビはない。メヒコに住んでいた時から家にテレビはない。面白いテレビ番組もないしな。実家に行った時に見るくらい。お母さんも「テレビおもしろないで」というて、とりだめておいてくれた漫才とかをゆるくみるくらい。
家にいるときはYouTubeとかをみている。おすすめ動画に上がってきていたから見始めたVICEの動画の数々。特集されているのは
「知らんかった」
というトピックばかりで、人身売買やスラム街の話などで、この地球上ではほんまに知らんことが起こっているんやということを改めて目の前に突き付けられてぎょっとする。
それを1日に何本も続けてみていた夜は金縛りにあった。
頭は動いているのに体が全然いうことを聞いてくれなくて、それを冷静に「あ、今金縛りにあってるな」というのがわかるという状態。わかってるけど、実際に体が動かへんというのは焦った。
また別の日、友だちが子供を連れて遊びに来てくれていたんやけど、その日は夜中に楽しげにでかい声で寝言を言っていたらしい。
何という短絡回路。でも、視覚なり聴覚なりの外からの情報が潜在的に頭の中に与える影響力、すごいなと思った。
そういえば、美輪明宏さんが言うてたな。美しいものを聞いたり見たり読んだりせなあかんと。気候も良くなってきたし、インプットの秋にしたいところ。
最近、Netflixの「Cobra Kai」にはまっている。
「Cobra Kai」は映画Karate Kidの公式な続編のドラマシリーズらしい。もともとはYouTubeオリジナルシリーズとして制作されていたらしいのだが、この間からNetflixでも配信が始まったようだ。
実はKarate Kidの映画は1本しか見たことがなく、ミヤギの「ワックスオン・ワックスオフ」くらいしか知識がない。Cobra Kaiの第1話をみ始めて、ダニエルがやり手のカーディーラーになっていて盆栽を顧客にプレゼントしてバンザーイなんて言っているのを見て、正直なんじゃこりゃと言葉を失ってしまったものの、2話、3話とみていくうちにすっかりはまってしまった。
回を追うごとにストーリーが出てきて、それぞれのキャラクターの人間味がにじんでくるのだ。それがなんというか、放っておけない。それぞれが人生を過去にとらわれながら、今それを乗り越えようとしていて、その辺のひたむきさと葛藤を自分ごとのようにハラハラと見つめて手に汗を握っている自分がいるのだった。ま、要するに、ドラマにまんまとはまってしまったというわけですが、私はほとんどドラマを見ないので本当、何年振りかにこんなにわくわくとしてシリーズを見ていて、それを客観的にみるともはや笑えてくる。メインキャラクターの一人、ミゲルくんがメヒコ人友達のアルくんに似ているところや、まったくぶれずに80年代のテイストを振りまくジョニーのブレなさになぜか心をつかまれて、思わず肩入れをしてしまっているのだ。(ちなみに、個人的には80年代のロックとかはあんまり好きではない。)
いい調子で見ているとシーズン1、2をあっという間に見終えてしまった。めっちゃいいところで終わったというのに、シーズン3はまだ出ていないのだという。
2021年まで待てと。
そんな!あほな!2021年というたった12か月もあるじゃないか。せめて何月ごろなのか教えてくれよ!と夫に詰め寄ったりしている。そんなことを言われても彼はもちろんそんなことは知るわけはないので、「ははは」と苦笑いを返されてしまった。
2020年はもう十分いろいろなことが起こりすぎているから、はやく2021年になってCobra Kaiのシーズン3が見られるようになってほしいなと願ってやまない。
最後の投稿が2009年の6月23日。今日は2020年の9月10日。
11年前のブログをあけた。昨日くらいからぼんやりと考えていたのは、久しぶりにブログでもなんでも、記録を文章で残そうかな、ということを。
11年経って、インターネットなどの技術もあり方も随分と変わり、いろいろなプラットフォームもできていて、私もinstagramやfacebookなども使っているけど、ここにきてそれらのSNSと呼ばれるサービス、その中でも特にfacebookにはうんざりしているのだ。一番最初にあれがあらわれた時は、海外のユーザーの方が多かったから離れて暮らす友達と連絡をとったり近況報告をしたりするのに便利に使わせてもらっていた。だんだんその様子も変わり(まぁ、みんなそれぞれ忙しくなってネットにいろいろ載せている場合ではなくなった)その意味合いは薄れ、自分の中で「備忘録を残すやつ」的な使い方をしていた。しかし最近はなんか、開けばウォールにあふれる様々な人のランダムな投稿と、巧妙に、というか、もはやえげつない割り込み方でお尻を入れてくる広告にうええっっとなりつつ、それでもたまに漫画の広告なんかが入っていたらついついスクロールの手を止めてみている自分もいて、くっそー、思うつぼかよ!!と舌打ちをしながら、その返ってこない無駄な時間を自分を恨めしく思っているといったありさまだ。ニーズからずれているから、気持ちも持っていきようがなくなってしまって疲労困憊。といった状況。
発信するという点で新しいプラットフォームを開拓してみようかという気持ちもないことはなかった。noteとかは気になっているプラットフォームの一つだったからどんなものかとのぞいてみた。でももう一度なんで文章を書く「何か」を探そうとしているのかを自分に問うた。
考えたことを書き留めておきたい。
すべての人がそうなのかは知らないけど、私は自分自身の書いた文章が面白いと思う。11年前のこのブログを適当に読みかえして、忘れていたこともたくさんあった。例えば、ある日「おちゃっぴい」という新しい単語を国語辞典で知ったらしいのだ、私は。そんな言葉聞いたことないし、この先日常会話の中で聞くことがあるのかわからないけどぜひ聞いてみたいと思っていたらしい。
■実用日本語表現辞典より
お茶っぴいそんな気持ちも、そしてそんな言葉すら忘れていたけど、実家暮らしで近くに国語辞典を置いて生活していたその環境っておもしろいな、と思った。ちょっと今度実家に行ったら国語辞典を持ってこようといま考えているくらいだ。ちなみに、この11年間の日常の中で「おちゃっぴい」という言葉に出会う機会はなかった。この言葉と気持ちを思い出したゆえに残念な気持ちが少しめばえる。不思議なことだ。
読み方:おちゃっぴい
別表記:お茶っぴー、おちゃっぴー、お茶っぴい、おちゃっぴい
(1)女の子がおしゃべりな様子を意味する語。お茶っぴいはおしゃべりな女の子を指す場合もある。遊郭では客がつかず暇な遊女にお茶出しをさせており、そのような遊女はおしゃべりな者が多かったことに由来する。
(2)働きの割にお金にならないことを意味する語。
文章を書くのは時間をとられることだ。写真を携帯でぱっととってそれを載せるよりもずっと。メッセージを送りあえるスピードは11年前よりもずいぶんと早くなった気がする。それに反していまだにペンをとって手紙を書いたり、e-mailをかなり寝かせて、LINEのメッセージすら寝かせてから長文で返す、なんていうことをしている自分を客観的に見るにつけ、たぶんそういうことが好きなんだろうなと思う。と同時に、その中でしか伝えられない何かがあってそれをできるだけすくって伝えたいと潜在的に思っているのかも。その癖に、「内容が無いよう」な手紙を受け取った人を困惑させているのも事実である。
ともあれ、11年前の誕生日、私は27歳になっていた。ネパール人と一緒にインド料理屋で働いていた。その後私はメヒコに渡った。今は38歳になって日本に住んでいる。そして何かを書きたいと思っている。例えば、「コブラ会」について。あるいは「金縛りにあったこと」について。どうでもいいような、どうでもよくないようなことを全く自分のためだけに書くのならノートにしたためてもいいはずだけど、誰かに見られるかもしれないという緊張感をちょっと加えて、飾り気なくちょっくらメモしていく。
今日は先日メルカリで頼んだ商品が届くと思うから楽しみだ。
久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。