2020-09-30

シルクスクリーン

日曜日に、まさみのところでシルクスクリーンの印刷体験会のイベントをさせてもらった。

今回は、シルクスクリーンの印刷体験会。あらかじめこちらが用意したイメージを刷ってもらうというもの。

ぶんちゃんがおっちゃんとゆのちゃんを連れてやってきてくれた。ゆのちゃんは3歳。おしりとかおしっことか言うだけで大爆笑をかっさらえるというお年頃。とよこちゃんもいたのでもう、楽しくて仕方がないという感じやった。

しかしいざ本番、実際にスキージーを握るとめちゃくちゃ真剣なまなざしに。もちろん3歳児の力では濃く印刷などできないから、「上手!」と言いながら、あとでおっちゃんに力強く刷ってもらって仕上げをしてもらうということに。上手に刷り上がったのを見て思わず、うわあああとテンションが上がり、まだ乾いて言いないインクに思わずタッチしてしまったけど、真剣モードが一気に解除されて、その瞬間またぱああああっと周りが華やいだ感じがした。

その後は、まさみにスペシャルお子様ランチを用意してもらってウインナーをほおばったり、オレンジジュースを飲んだり、プリンを食べたり、遊んだり、今日が今まで生きてきて一番楽しい日!!!という感じで楽しそうにしていた。そして帰る時間になったら、結構自分から進んで車に乗ったりと帰路を急いでいた。ぶんちゃん段によると、車をだしてほんの30秒くらいは知らせた時点でもう眠りこけていたらしい。オンとオフ!!!

ほんま、いつも子供と会ったらそうや。瞬間がとにかく輝いている。もううらやましくて仕方がない、ほんまに!!

印刷体験会にはまさみにも参加してもらって、まさみのところの常連さんたちにも何名か参加してもらって、みんなそれぞれイメージを選んだりインクの色や印刷位置なども考えたりと、ええ感じで仕上がったから、ほっとした。

今回は、時間の節約という観点からも、ビサグラ(蝶番的な)を使わず手で押さえるという方法で押さえたけど、刷るときの緊張感というかドキドキ感が刷り手からビシバシに伝わってきた。すごい緊張。真剣が放つオーラを間近で直撃して、抑えているこちらも思わず息を止めてしまっていた。いい一日やった。

2020-09-26

あん

映画 「あん」を観た。

2015年の映画だから、今更かい、と思われることを承知で叫ぼう。(しかもでかい声で)

いい……!!!

めちゃくちゃよかった。いろいろ言えば言うほどこの映画の良さがそがれてしまう気がするので、それ以外にもはやいうことがない。

あんこが食べたくなったなぁ。おいしいどら焼き食べたいなぁ。生きるって実はものすごくキラキラとしていることなんかなぁ、とか。日本の季節の移り変わりが画面を通して鮮烈に映し出されて、希望とか、予感とか、悲しみとか諦めとかなんかいろいろな感情が渦巻いて、樹木希林さんに本当に心を打たれた。市原節子さんにも。

うっ。結局いろいろうじゃうじゃ言うてしまっているじゃないかい。ほんま、いい映画でした。

2020-09-25

乳と卵

「乳と卵」という小説を読んだ。

普段読む本が偏っているからなかなか読んだことのない人の本を手に取るのは珍しい。メヒコ時代の上司が今東京に住んでいて、なぜか彼の口からこの小説の名前が出たのだ。

図書館に行ったらあったので早速借りてみて、さっそく読んでみた。

大阪弁でやり取りされる感じと、描写が臨場感があっておもしろかった。緑子が母親と話すことをやめて筆談でいろいろなことを伝えたり、思ったことを書きつけたりしているのは、「リトルミスサンシャイン」の男の子のことを思い出した。

小さな世界で、関わる人もそんなにいなくて、一番身近で理解してほしいのに理解してもらわれへん。あるいは理解したいのに理解できひん。なんでなん、なんでそうなん。もういややわ、というぐるぐる。

なんかものを書くことの一つの理由な気がする。自分と世界との距離感とか、自分の世界とか。

2020-09-24

OAXから、日本経由NZ

 この間、instagramにDMが届いた。

「あなたのプリント、どこで買えるのかしら?」

と。うわーーー!うれしいなぁ、と早速返信。と言うても、私のプリントなんておいてもらっているところが少なく、問い合わせてもらったプリントはオアハカにしかない。

「今どこですか?もしかしてオアハカ?万が一オアハカにいたら○○というギャラリーにあるかも」

みたいな内容を返すしかなく、その返事を見ると、彼女はニュージーランドの方で、今旅をしていてオアハカにいるのだという。コロナのさなか、長期で旅を続けている人もやはりいるのだな、ということにも驚いたけど、私が今日本にいることを伝えたら、旅をもう少し続けるから、もし可能であればニュージーランドの家の方に送ってもらえたらうれしいとのこと。

オアハカにいた私に、オアハカに今いる人が頼んでくれたものを、日本からニュージーランドへ発送する。

なんて、一昔前では考えられへん状況やったけど、こういうことが起こるたびにインターネットってほんまに世界の距離を縮めたなぁ、と感じる。

ほんまのほんまにありがたい限り。

しかしそれにしても、私のプリントのことをどうやって知ってくれたのか(偶然instagramで見つけたのか、とか)気になるので聞いてみたら、オアハカ滞在中にどこかのギャラリーで私の作品を見てくださったとのこと。それで気になってinstagramを探してくれて、さらに気に入ったものを見つけたからコンタクトをとってくれたというわけだった。

うわー、アツい。コツコツがんばろうと思った。

2020-09-23

BIZEN中南米美術館

 4連休、3日目は備前市日生町にあるBIZEN中南米美術館へ。

ある日、どこかの美術館でもらった冊子で見つけたのだ。なぜ岡山の海の町に中南米の美術館が……?!とめちゃくちゃ気になっていて、ようやく行くチャンスが。

日本で初めてサブスク制を取り入れたという美術館で、1口3000円からサポーターになれるとか、やたら充実したウェブサイトとかも気になっていたけど、行って納得。館長さんがめちゃくちゃアツい!!!

今の展示は「MAYA戦国物語」。マヤ文明は、文字を持っていた文明だけれど、今までその解読が人間によりコツコツと進められていたけど、近年AIの力によりものすごいスピードで進んでいるとのこと。館長さんの話によると、それによって新たに分かったことがたくさんあって、日本の戦国時代のような、大河ドラマにでもできそうなドラマティックでダイナミックな物語がたくさんあるのだという。記録も本(ジャガーの皮の表紙で、木のページが蛇腹折になったもの)スペインが侵略にやってきたときに4冊をのぞいて全部処分されてしまったのだそうで、主に石に刻まれたものを解読しているのだそうだ。

文明や歴史に疎いので、説明をがんばって読んでみるけどちょっと時系列や名前がすっと入ってこないところもあり、嗚呼、勉強不足……と思いつつ、出土品などを鑑賞して純粋に楽しむことにした。造形や表情がおもしろく、彩色や模様も興味深かった。

その日は、会員さんのイベントがあったみたいで、私たちが見ていると会員さんの会合が終わった後に館長さんが下に降りてきて、せっかくですからと言って展示品の笛をいくつか吹いて音色を聞かせてくれた。展示品をあんな風に取り出して、しかも音まで奏でてくれるのはさすがに初めて見てびっくりしたけど、館内に響き渡った音色は耳と心に染みた。

あの館長さん知識がめちゃくちゃあって話をなんぼでも聞いておけそうなんやけど、それを超越する愛。しびれた。そして、美術館を出た後なんか興奮気味にVIVA MÉXICOと鼻息があらくなっていた。熱意を伝えるパワー、あの館長さんはすごい。


2020-09-22

カフェ・サンコーズ

4連休。いつの間にかこの秋の連休はシルバーウィークという名前がついたみたいで、先週の金曜日から今日までがちょうどそれ、というようで。

4連休の初日は、まさみのお店「イシヅカ靴店x靴屋カフェ」にてサンコーズとして一日カフェ。まさみがワークショップを開催するので、その間、カフェの店番、というか、せっかくなので自分たちのやりたいことも入れつつわいわいやろう、という試み。

サンコーズのメンバーは、とよこちゃん、ジェフ、私。今回は、まさみが準備した通常メニューとしてあるカレーに加えて、我々が準備したプリンをラインアップに加えて挑んだ。ワークショップではキーケースやコインケースをみなさん上手に作っていて、出来上がったのを「こんなんできましたー!!」とみんなうれしそうに見せてくれて、プリンも食べて行っていただいていやぁ、ありがたいなぁ、と。

1年生のおんなのこも、お父さんの力を借りながらやけどめちゃくちゃかわいいコインケースをつくっていて、恥ずかしそうに、でも一生懸命頑張ったところなどを教えてくれた。1年生であんな立派に針と糸を使ってものをつくれるなんて(しかも皮とか縫うの難しいやろうに)ほんま驚いた。お父さんがこういうイベントを見つけてきて一緒に参加してくれるというのも素敵やなぁ、と。小さいころから自分でものをつくる楽しさや喜びを体験できるっていうのはほんま、素晴らしい。

カフェの方は、シルバーウィークということもあり、遠出した人が多かったのかそんなにたくさんお客さんは来なかったけれど、まさみのところの常連さんに高砂の町で10月に行われるイベントのことを教えてもらったり、高砂にはちょこちょこといろんなお店やイベントが行われているみたいで行ってみたいなぁという気持ちがにょきにょき。

初回のサンコーズはゆるやかにでも和やかに楽しくできてよかった。来月は、もうちょっと職を充実させてまた出店するので今から楽しみ。むへへ。

2020-09-18

mid90s

 久しぶりに、うおおお、この映画を見てみたい、というトレイラー見て思った。「mid90s」である。

90年代半ば。

口に出して言うてみるだけでなんとなく甘く、うっとりする。私はスケボーキッズでもなかったし、ヒップホップを聞いていたわけでもない。でも90年代に思春期真っただ中で、洋楽を聞き始めてみたり、本を読んでもやもやとうじうじといろいろとぐるぐるしていたな。それは今でも変わらへんのかもしれへんけど。

弟と両親が買い物に行った瞬間にこっそりスーパーファミコンを取り出して遊んだり、一輪車を無駄に練習したり、自転車を立ちこぎして駄菓子屋に行ったり、友だちと真冬の夜中に流星群を見るためにもこもこにだるまみたいにいろいろ着込んで地面に寝転がって空を見上げるとか、学校からの帰り道次の日も会うくせにどうでもええ話を最後の交差点のところでいつまでもだらだらしゃべったり、自転車を二人乗りしていたら溝にはまったり、行き先も決めずに始発の電車に乗り込んでとりあえずいけるところまで行ったり……。

90年代から00年代前半は、あほすぎる思い出がいっぱいやな。そのころに聞いていた音楽を聞いたら映像やにおいがよみがえってきそうな妙に生々しい温度の時代だ。

苦くてどうしようもなくてダークで何もできない。でも甘い、そういう気持ちをぐっと抱きしめたくなる。映画を見ながら映画の中の少年たちの気持ちに入り込むというよりも、映画をおいながら、自分自身のそういう気持ちを引き出されたような、見終わった時にそんな気持ちになっていた。

いい映画やった。

2020-09-17

焦げた

昨日、アスパラの肉巻きをつくった。味がよう染みたらおいしいやろう、と思ってフライパンをほったらかしにしていたら、何やら香ばしいにおいが。

と気づいた時にはもう焦げていた。ああ、残念。残念過ぎる。It happens(まあそんなこともあるって)と言われても、アスパラガスを食べた後の独特のおしっこのにおいをかぐと、「ああ、昨日焦がしたな」と思い出してしまうのだ。くうう、悔しいなぁ。

アスパラガスを食べた後、尿のにおいが変わるというのをつい最近教えてもらったけど、今ネットで調べたらどうやら、全員が全員その匂いの変化をかぎ分けられるのではないらしい。

https://diamond.jp/articles/-/154624

おもしろいな。

2020-09-16

スズキのお兄さん

 昨日、夫が帰ってきたら車でピュンっとコーナンに行こうと考えていた。帰ってきたから、「ほなー!」と出かけようと思ったら、謎の黒い物体を差し出された。

聞くと、車から出ていたとのこと。黒いひも状の布にはメーカー名と品番が書いてあったからそれを頼りに、早速インターネットで調べてみた。すると、ファンベルトというものらしかった。完全にベルトが切れたわけではなくカバー(?)部分のところが外れただけっぽいけど、そんなものが切れたまま車を走らせるのも怖いので、修理してくれそうなところを探すことにした。

いつもガソリンを入れるガソリンスタンドを通りかかると、車の点検も行ってそうな感じだった。一応聞いてみるとやはりファンベルトが劣化しているっぽいと言われた。部品を取り寄せるのに時間がかかるみたいなので、ディーラーに行ってみることにした。

中古で買った車で、買ったときに車検をつけてもらったきり特に点検らしいことはしていなかったし、ディーラーへも持って行ったことはなかった。スズキのディーラーに行くとまだ電気がついていて開いてそうだったからほっとした。

店内の電気はついている(し、何より自動扉で中に入ることができた)のに人がいない。呼び出しのピンポンもベルもないからどうしたものかな、と思っていると奥の整備するところからお兄さんが出てきた。

例の謎の黒いひも状のやつを差し出して、事情を説明すると早速ボンネットを開けてみてくれた。この動作ですでにさっきのガソリンスタンドで見てくれたお兄さんと全く違うかった。さっきの人が、「まぁ~、おそらく……」という感じで説明してくれたのに対してこのお兄さんは、どういう状況なのかをわかりやすく、そして的確に教えてくれた。

直せるかどうかはやはり部品があるかどうか次第になると言われたが、それもすぐに確認してくれて、部品があるとのこと。しかも、閉店30分前なのにもかかわらずすぐにしてくれるという。

もうその時点でこのお兄さんへの好感度と信頼度が爆上がりやったわけで、忠犬ハチ公のようにいつまでも待とうと決めた。そんな大げさな覚悟とは裏腹に、ものの20分ほどで完了した。中古車で買ったからあんまり車の状態がよくわかってなかったけど、エアコンを使いだしてから聞こえるようになった謎の音が気になっていたので「実はこんなことが気になってまして……」とお兄さんに音のことも相談してみた。すると、考えられる原因の可能性を列挙してくれて、実際にまたボンネットを開けて音を確認したりなんだりしてくれて、フットワークの軽さと気さくに対応してくれる様子に感激してしまった。新しい町に越してきたことと、コロナのこともあるしあんまり誰ともかかわっていなかったので、こんな風に談笑しながら人と接するのもなんか家族・友達意外とは最近してなかったなぁと思う。

話を聞いてもらったら、オイルの交換時期をとっくに過ぎていることを教えてもらい、今度オイル交換がてら内部をもう少し見てみてくれるということになった。中古車やから、もしかしたら何人かのオーナーを転々として、みんなに「中古やし」的に乗り継がれてあまりメンテナンスしてもらえてなかったのかも?!というか、我々もそんなにしてなかったかも、とちょいと反省。

それにしても、あのお兄さんに車を見てもらえてほんまに助かった。車は毎日使うので、なんか部品が足りてないまま数日とはいえ走りつづけるのも不安だと思っていたから、無事に治ったのもうれしかったし、あのお兄さんのような人に直してもらえたのて本当に良かった。やっぱり、道具やものは大事にせなあかんし、信頼できる人に見てもらえたらほんまに安心感が得られるなぁと、コーナンで買いたかったものを買えずともなんかいい気分になって家に帰ってきたのだった。


2020-09-15

Bad Religion

 オアハカにいてるころからSpotifyを有料で使い始めた。無料で使っていたのがあまりにCMが多いので、メヒコでプロモーションをやっているときに安く始めたのだ。CMが無かったり曲をDLしてオフラインでも聞けたりするというのはやっぱりめちゃくちゃ便利で、無料トライアルが終わっても結局そのまま契約して使ったままになっている。サブスクって結局そうなってしまうんかな。でもまぁ、助かっているからありがたい。

長年新しいバンドを発掘するとかもしてなかったし同じ曲ばっかりを聞いてしまいがちになってたけど、Spotifyを始めてからはええ感じに自分の好きそうなジャンルとかをYour Daily Mixとしておすすめしてくれて新しいバンドを発掘できたりして楽しんでいる。

それでBad Religionのかっこよさに改めて気が付いて、めちゃくちゃにはまっている。Bad Religionがまだバンドの活動を続けていたのにも驚いた(だって、私が高校生くらいの時にはすでにゴリゴリに活躍していてたから、彼ら一体もう何歳なんや?!と)。なんと昨年2019年にはニューアルバムまで出して、現役バリバリでライヴ活動も行っているのだ。

Bad Religionは、いわゆるパンクバンドで政治や世界に対するメッセージがかなり濃いけど、そういう音楽をつくるってめちゃくちゃパワーがいると思う。怒りであったり、疑問であったりを抱かないといけないから。そしてそれらの感情はめっちゃパワーを使う感情である。それを一体、何十年続けているんや?!と思ったら、もう、Bad Religion----!!!!渋すぎる!!!!と改めて惚れてしまったのだ。

はまったらとことんやから、昔(そして最近のも)のインタビューを見たりしていて、

「メロディとリリックとどちらが大事と思いますか?」

という質問に対して。

「リリックやな。それが伝えたいことやから」

で、ごくりとつばを飲み込みながら聞いていると、こう続けた。

「でも、そのメッセージを聞いてもらうためにはいいメロディじゃないとあかん。だからもちろんいいメロディをつくることが大事。」

と言っていて響いた。

発信することは意外に敷居が低く誰でもができるけど、それを全員に受け取ってもらえるとは限らへん。受け取ってもらってはじめてそこにこめたメッセージとかが伝わるんやから、結構な道のりや。

最近のインタビューでは、最新アルバムに対して「めっちゃいいのができたから、これが俺たちの最後のアルバムになったっていいと思えるくらいだ」と話していた。

いいものをつくる、か。

それを何十年と続けていて、今も全力でかっこいい。憧れるなぁ。ああいうかっこええ大人になりたい。

そして、もうひとつBad Religionにしびれたのは、初期のアルバム(80年代!!)を聞いた時に、音も声も若いけど、何曲かに1曲はすでにだれがどう聴いても「Bad Religion」なのだ。そんな一番最初からすでに芯が完成されていて、そのイズムをずっと抱えたままよりBad Religionになっていっているというそのブレなさを見た(きいた)時に震えた。

かっこええ、Bad Religon。コロナでこんな時代になってしまったけど、今後もしどこかで見られるチャンスがあったら絶対に見にいきたい。

2020-09-14

金縛り

 今住んでいる家にテレビはない。メヒコに住んでいた時から家にテレビはない。面白いテレビ番組もないしな。実家に行った時に見るくらい。お母さんも「テレビおもしろないで」というて、とりだめておいてくれた漫才とかをゆるくみるくらい。

家にいるときはYouTubeとかをみている。おすすめ動画に上がってきていたから見始めたVICEの動画の数々。特集されているのは

「知らんかった」

というトピックばかりで、人身売買やスラム街の話などで、この地球上ではほんまに知らんことが起こっているんやということを改めて目の前に突き付けられてぎょっとする。

それを1日に何本も続けてみていた夜は金縛りにあった。

頭は動いているのに体が全然いうことを聞いてくれなくて、それを冷静に「あ、今金縛りにあってるな」というのがわかるという状態。わかってるけど、実際に体が動かへんというのは焦った。

また別の日、友だちが子供を連れて遊びに来てくれていたんやけど、その日は夜中に楽しげにでかい声で寝言を言っていたらしい。

何という短絡回路。でも、視覚なり聴覚なりの外からの情報が潜在的に頭の中に与える影響力、すごいなと思った。

そういえば、美輪明宏さんが言うてたな。美しいものを聞いたり見たり読んだりせなあかんと。気候も良くなってきたし、インプットの秋にしたいところ。


2020-09-11

コブラ会

 最近、Netflixの「Cobra Kai」にはまっている。

「Cobra Kai」は映画Karate Kidの公式な続編のドラマシリーズらしい。もともとはYouTubeオリジナルシリーズとして制作されていたらしいのだが、この間からNetflixでも配信が始まったようだ。

実はKarate Kidの映画は1本しか見たことがなく、ミヤギの「ワックスオン・ワックスオフ」くらいしか知識がない。Cobra Kaiの第1話をみ始めて、ダニエルがやり手のカーディーラーになっていて盆栽を顧客にプレゼントしてバンザーイなんて言っているのを見て、正直なんじゃこりゃと言葉を失ってしまったものの、2話、3話とみていくうちにすっかりはまってしまった。

回を追うごとにストーリーが出てきて、それぞれのキャラクターの人間味がにじんでくるのだ。それがなんというか、放っておけない。それぞれが人生を過去にとらわれながら、今それを乗り越えようとしていて、その辺のひたむきさと葛藤を自分ごとのようにハラハラと見つめて手に汗を握っている自分がいるのだった。ま、要するに、ドラマにまんまとはまってしまったというわけですが、私はほとんどドラマを見ないので本当、何年振りかにこんなにわくわくとしてシリーズを見ていて、それを客観的にみるともはや笑えてくる。メインキャラクターの一人、ミゲルくんがメヒコ人友達のアルくんに似ているところや、まったくぶれずに80年代のテイストを振りまくジョニーのブレなさになぜか心をつかまれて、思わず肩入れをしてしまっているのだ。(ちなみに、個人的には80年代のロックとかはあんまり好きではない。)

いい調子で見ているとシーズン1、2をあっという間に見終えてしまった。めっちゃいいところで終わったというのに、シーズン3はまだ出ていないのだという。

2021年まで待てと。

そんな!あほな!2021年というたった12か月もあるじゃないか。せめて何月ごろなのか教えてくれよ!と夫に詰め寄ったりしている。そんなことを言われても彼はもちろんそんなことは知るわけはないので、「ははは」と苦笑いを返されてしまった。

2020年はもう十分いろいろなことが起こりすぎているから、はやく2021年になってCobra Kaiのシーズン3が見られるようになってほしいなと願ってやまない。

2020-09-10

11年のあるけどない空白

 最後の投稿が2009年の6月23日。今日は2020年の9月10日。

11年前のブログをあけた。昨日くらいからぼんやりと考えていたのは、久しぶりにブログでもなんでも、記録を文章で残そうかな、ということを。

11年経って、インターネットなどの技術もあり方も随分と変わり、いろいろなプラットフォームもできていて、私もinstagramやfacebookなども使っているけど、ここにきてそれらのSNSと呼ばれるサービス、その中でも特にfacebookにはうんざりしているのだ。一番最初にあれがあらわれた時は、海外のユーザーの方が多かったから離れて暮らす友達と連絡をとったり近況報告をしたりするのに便利に使わせてもらっていた。だんだんその様子も変わり(まぁ、みんなそれぞれ忙しくなってネットにいろいろ載せている場合ではなくなった)その意味合いは薄れ、自分の中で「備忘録を残すやつ」的な使い方をしていた。しかし最近はなんか、開けばウォールにあふれる様々な人のランダムな投稿と、巧妙に、というか、もはやえげつない割り込み方でお尻を入れてくる広告にうええっっとなりつつ、それでもたまに漫画の広告なんかが入っていたらついついスクロールの手を止めてみている自分もいて、くっそー、思うつぼかよ!!と舌打ちをしながら、その返ってこない無駄な時間を自分を恨めしく思っているといったありさまだ。ニーズからずれているから、気持ちも持っていきようがなくなってしまって疲労困憊。といった状況。

発信するという点で新しいプラットフォームを開拓してみようかという気持ちもないことはなかった。noteとかは気になっているプラットフォームの一つだったからどんなものかとのぞいてみた。でももう一度なんで文章を書く「何か」を探そうとしているのかを自分に問うた。

考えたことを書き留めておきたい。

すべての人がそうなのかは知らないけど、私は自分自身の書いた文章が面白いと思う。11年前のこのブログを適当に読みかえして、忘れていたこともたくさんあった。例えば、ある日「おちゃっぴい」という新しい単語を国語辞典で知ったらしいのだ、私は。そんな言葉聞いたことないし、この先日常会話の中で聞くことがあるのかわからないけどぜひ聞いてみたいと思っていたらしい。

■実用日本語表現辞典より 
お茶っぴい
読み方:おちゃっぴい
別表記
:お茶っぴー、おちゃっぴー、お茶っぴい、おちゃっぴい

(1)女の子がおしゃべりな様子を意味する語。お茶っぴいはおしゃべりな女の子を指す場合もある。遊郭では客がつかず暇な遊女にお茶出しをさせており、そのような遊女はおしゃべりな者が多かったことに由来する。
(2)働きの割にお金にならないことを意味する語。
そんな気持ちも、そしてそんな言葉すら忘れていたけど、実家暮らしで近くに国語辞典を置いて生活していたその環境っておもしろいな、と思った。ちょっと今度実家に行ったら国語辞典を持ってこようといま考えているくらいだ。ちなみに、この11年間の日常の中で「おちゃっぴい」という言葉に出会う機会はなかった。この言葉と気持ちを思い出したゆえに残念な気持ちが少しめばえる。不思議なことだ。

文章を書くのは時間をとられることだ。写真を携帯でぱっととってそれを載せるよりもずっと。メッセージを送りあえるスピードは11年前よりもずいぶんと早くなった気がする。それに反していまだにペンをとって手紙を書いたり、e-mailをかなり寝かせて、LINEのメッセージすら寝かせてから長文で返す、なんていうことをしている自分を客観的に見るにつけ、たぶんそういうことが好きなんだろうなと思う。と同時に、その中でしか伝えられない何かがあってそれをできるだけすくって伝えたいと潜在的に思っているのかも。その癖に、「内容が無いよう」な手紙を受け取った人を困惑させているのも事実である。

ともあれ、11年前の誕生日、私は27歳になっていた。ネパール人と一緒にインド料理屋で働いていた。その後私はメヒコに渡った。今は38歳になって日本に住んでいる。そして何かを書きたいと思っている。例えば、「コブラ会」について。あるいは「金縛りにあったこと」について。どうでもいいような、どうでもよくないようなことを全く自分のためだけに書くのならノートにしたためてもいいはずだけど、誰かに見られるかもしれないという緊張感をちょっと加えて、飾り気なくちょっくらメモしていく。

今日は先日メルカリで頼んだ商品が届くと思うから楽しみだ。

Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。