2005-10-19

じじいの相手も疲れるなぁ、の巻き。

今日は、ちょっくら依頼されていた調べ物をして帰ろうと思いきや、じじいに話しかけられた。じじいとは、私の課のえらそうなおっさんのことだ。偉そうなおっさんは、退職間近(なはず。少なくともそう願う。)で、課の役職は退いているけどスーパバイザーのような役割なので、とりあえず日々怒鳴り散らしている。私は、ただの事務をする人なので怒られることはないけど、他の人が怒られているのをBGMに作業をするのは決して気持ちのいいものではないので、おらへんようになればいいのに……とひそやかに願っているのである。そういうわけで、じじいが出張でおらへんようなことがあれば、小躍りでも始めたいくらいはうれしいのだ。

閑話休題、今日は部内会議とやらで昼から私以外の全員がおらへんようになったので、ぼちぼちと仕事をしていたわけです。すると、夕方くらいにじじいだけ一回帰ってきて、なんかしゃべりかけられたからしばらくしゃべっているとまだ戻っていたのに、しばらくするとまた帰ってきたのだ。前述の通り、調べ物を…と思って席に戻ってくると、じじいがまたしゃべりかけてきた。まぁ、しゃべるくらいはしゃべるので、しょうもない世間話とかをしていたんやけど、しゃべっているうちにだんだん価値観の違いと言うか、考え方が根本的に違うなぁ、と言うのがわかってきて、最後の方ほぼ愛想笑いやわ。私は、どっちかと言うと(いや、言わんでもか…。)流浪の民にあこがれるような人間やから、根本的に仕事人間(損得勘定で物事を図る人)とは考えが合わないんだと思う。第一、人に指図をされるのは嫌いや。大学の時にドイツ語を選択したと言うと、イコール『ドイツ語ぺらぺらなんでしょ』と言うような発想に加え、他のことへ対する(たとえば、語学の習得)の強要。そんなものは、ファック・ユー、なのだ。「前任の人はこんなこともしていたから、君も最低限それくらいできたほうがいいんじゃないの。」……そこで、「はい、がんばります」、なんて死んでも言うか。その場で、「は??何言うとるん??」とまで言ってのけるほど度胸はないけれど、首は縦に振らないのだ。

しかし、本当、語学なんていうものは果たして経済・世界情勢に因って勉強するものなのでしょうか。そりゃぁ、所詮言葉なんてものは「手段」の一つに過ぎないから、それを仕事のために使う人もいるでしょう。私は、言葉が通じたら自分の視点や世界が広がるところに語学の魅力を見出している。故に、学習・習得を人に強要するなんていうのはもっての他やと思う。ありえへん。必要やと思ったら自分でなんとかするやろうし、必要ないと思ったら足を踏み入れる必要はないのだ。

まぁ、悪い人ではないのかも知れへんけど、考え方を押し付けてくるような厚かましさを持ち、それに本人全く気付かず(Me! No.1!)威張り散らしている人間もおるということですよ。そんなちっちゃいしょうもない人間もおるということですよ。そんな人間相手に愛想笑いだけでも相手をするのは、疲れるのだ。その疲れを、日記なんかに吐き出す私もまだまだ甘いな。

さぁ、じじい59歳。いつ退職するのか乞うご期待。はは。

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Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。