久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。
アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。
久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。
アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。
YouTubeも最近は耳だけで聞けるのを選ぶようになった。
東野幸治の幻ラジオからのホンモノラジオをメインに楽しみにしているけど、聞いてる頻度が高いから公開されてるものは全部聞いてしまった。他になんか聞けるのはないかね、といろいろ音声をあさっていると、たどり着いた上沼恵美子のこころ晴天。
ほんまにようしゃべるなぁ、そして面白い。
キノコのめちゃくちゃおしゃれな料理を作って夫とバゲットで食べるというエピソード。聞いてるだけけど目の前にその料理が出てきたんちゃうかというような、臨場感、描写力。うわー、おいしそうやなあ、と思いながら聞いてたら、すっかり歯が悪くなってしまったと切なそうに言った。その直後、「昔スペインでこの料理を食べた時は獅子舞みたいな歯で食べてたのに!」と言うてて、印刷しながらぶはっと思わず声を出して笑ってしまった。
コロナの閉塞感にいよいよ鬱々とするよなぁ、と思っていた今日この頃、獅子舞みたいな歯でバゲットを異国で夫とほおばる上沼さんを頭に思い浮かべたら、自然とお祭りみたいな笛の音が頭の中で再生されて、不思議な映像が頭を満たす。やっぱり生きていく中で必要なのは笑いやな、と再確認。
版画はようやく印刷までこぎつけて、シャーシャーとインクをローラーで練って、湿らした紙にプレス機で印刷して、めくるとパキッと真っ黒なイメージが現れる。快感。
ほんまはこんなん書いてる場合じゃないねんけど、「獅子舞みたいな歯」というフレーズを忘れたらあかんと思ったので、備忘録がてら。
開催が決定したとお知らせを受けてからめちゃくちゃ楽しみにしていた展示。お盆前に京都に住む友だちと、車を乗り合わせて見に行こう~!と計画を立てていたのに、まさかまさかの直前になってのコロナ感染拡大による美術館の閉館決定。
うそやろうーーーー?!と膝から崩れるような想いやった。それくらいに楽しみにしていた展示やったのだ。
ゆきさんと知り合って、もう何年になるかな。一番最初は倉敷のクラフト市で知り合った。そのころはバッグなどをつくってはって、その後何回か展示に足を運ばせてもらった。
福山であった展示の時は、今までに生まれてきたバッグの変遷、なんでそういう形になってきたのか、という話を聞かせてもらったり、そして寝っ転がるための、スイッチをオフにするマットの作品の話を聞いた。
ゆきさんのバッグの形は、息子さんたちが成長していく過程でその生活のスタイルにフィットするように変化していたけれど、息子さんたちが大学生になって実家を離れた今、前回の寝っ転がるための海(マット)が生まれて、それを見た時に今後どんな風に変化をしていくんやろうとわくわくの種を見せてもらったような気持になった。
そして今回の展示。制作を始めたゆきさんからは、楽しくて仕方がない、という形にしたいものに向かってひたすら進んでいるというのがラインや電話のやり取りからもビシビシ伝わっていて、本当に本当に楽しみにしていたのだ。
それがここへきての感染拡大。
くっ。
コロナ!!!
聞けば東京などでは美術館は別にしまったりはしていないとのこと。うう~、香川県~!なんでーーーー!!とほんまに泣く泣く展示終了の知らせを受け取ったのだった。
しかし、その後、搬出までまだ時間があり、その間写真撮影などを行うために作品は閉館中の美術館にいてて、なんとプライベート観覧に声をかけてもらって作品をじかに見させてもらうことができた。
プライベート観覧ということで、自分たち以外はだれもおらず、好きなだけ時間を使い、そしてゆきさんとゆうじさんの話を聞きながらゆったりまったりと作品を鑑賞させてもらうことができた。(こ、こっちの方が贅沢極まりないのでは?!)
ゆきさんの見ている瀬戸内の海、大きな大きな海で、本当の海岸にいるみたいに床に腰を下ろして遠くを見な柄、なんとも心地の良い時間を過ごさせてもらった。
ふんわりとしていて、軽やかに見えて、実はとてもまっすぐでいさぎがよくて、めちゃくちゃかっこよかった。
ゆうじさんの作品、おおきなおおきな石の作品。「太陽の食卓」は力強くてやはりかっこよくて、なんかメヒコ的な懐の深さを感じた気がした。
貴重な機会に声をかけてもらって本当にお2人に感謝。
ついに自転車を買った。
最初は27インチくらいがええかなと思っていたけど、20インチの折りたたみ自転車に落ち着いた。折りたたみやったら2階にも持ち上がれるから乗る都度下ろしたらいいわと思っていたけど、意外と重いし面倒なので、すでにいっぱいと思われた自転車置き場の端っこにねじ込むように駐輪することにした。
今まで自転車に乗るときと言えば通学とか駅までとかなので、いつも時間に追われていてめちゃくちゃがむしゃらにこいでいたという思い出が強い。だから「なんか早くこがないと」という変な強迫観念のようなものもどこかにある気がする。だから「いや、どこにも急いでないから」と自分に言い聞かせるようにしている。
20インチなので大したスピードも出ず、大きい道の端っこをひやひや走るのも嫌だし急いでいないので、農道とかを一人ゆるゆるとこいでいる。
しかし、20インチと言えど今までの歩きと比べると、格段に速く流れる景色と風を切る感覚はすごく楽しい。
緊急事態宣言が解けて図書館があいたようなので行ってみると、みんな暇なのか、再オープンを心待ちにしすぎていたのか、ものすごい人でごった返していた。私はかりすぎたらまたどれも読まずに期限が切れて、申し訳ない気持ちで返却ボックスにこっそり返す、ということになるのが見えていたので1冊だけ借りた。
山崎ナオコーラさんの「カツラ美容室別室」。
最近ハードに読書をしていないから、文章を楽しみながら心地よく読みたい気持ちが強い。山崎ナオコーラさんの作品は、ちょくちょく手にとっては読んでいる気がする。物語自体はすらすら読めて、なんか淡々と進んでいくけど、その中にごいーんと頭をどつかれたみたいになるフレーズがあらわれる。
相手の心を覗くことは、相手の心を予想することとは違う。
-中略-
理解は不可能で、誤解だけが可能。知らないということを深めたくて心を覗くのだ。
寝る前にちょっとずつ読み進めたけど、昨晩読み終わった。さっきもう一度ページを開いてメモった、頭ごいーんフレーズ。
今日は午後から天気が下り坂になるらしいけど、朝早くから良く晴れている。北側と南側の窓を開けていたら風も通り抜けて気持ちいいなぁ、と思っていたら、またたばこのにおいが入ってきた。
下のヤンキーだけかと思ったら、ヤンキーがおらへんっぽいときもに追ってくるから、近所の人は喫煙者が多いんやと思う。はぁ。四六時中のことではないけど、不意に不快にさせられるから地味にストレスやわ。
郵便局の銀行、ゆうちょ銀行。郵便局なら全国にあるし、最近では手数料無料のATMがファミリーマートにも設置されてきて便利やからゆうちょでいいや、と思って使っている。
海外からの送金を受けるという機会があって、いつまでたってもお金が着金しないのでなんか間違えて情報を伝えたかな!?とひやひやしていたけど、ようやく理由が判明。
ゆうちょへの海外からの送金は、USドル建て、あるいはユーロ建てにしないと送金できないらしい。
へぇーーー!知らんかった。先方の方には迷惑をかけたなぁ……。
海外から支払いを受けるときは、PayPalをよく使っていたし、今でも「PayPalで送っていい?」と海外の人からは好まれるけど、個人的には最近はStripeがありがたい。というのも、PayPalがなんかいちいち手数料が高く、しかも問題があった時のカスタマーサービスがものすごく悪いという経験がある。だからなんとなく心が離れていったけど、そこにとって代わって表れたStripe。シンプルでわかりやすく、そしてありがたいことに日本の銀行口座に定期的に入金を行ってくれるのだ。
Stripe : https://stripe.com/
それからもう一つ、痒い所に手が届くサービス。linktree。
instagramがリンクをはれないので、なんかいい方法はないかなぁ、と思っていたところみつけたサービス。
自分が張りたいリンク張る、という明朗シンプルなサービス。
Linktree : https://linktr.ee/
シンプルでわかりやすいのがいいな。うん。ごちゃごちゃしてるのは頭の中だけで十分や、と思う。
12号線の高架橋が崩落したというニュースを見て驚いた。と同時にこわ!と思った。
Vilmaの家から、日本食材が売ってあるレストランに行くときに使ったあのラインじゃないか。
一番新しく開通したラインで、他のラインの車両よりも新しくて、なんかアナウンスもあるし、テレビ画面がツイててそこに駅名が出たりコマーシャルが流れたりするから、おおお!メヒコもついにこんな感じになっていくん?!とびっくりしていたあのラインだ。
いやー、驚いた。
またも発出の緊急事態宣言。
長らく都会に行ってないから都会の温度差というものがわからへんのやけど、この間の緊急事態宣言もなんか中途半端な時に解除されていったという印象を受けたから、そんなに頻繁に出したり引っ込めたりしてたら効果なんてものはあるのか?と疑わしい気持ちになってしまう。
変異株も見つかって、広がってきているなんて言うことをニュースで聞くし、その割にはオリンピックはするみたいな方向やし、やってることがちぐはぐすぎてついていかれへん。
Hadnmaid's Taleを今熱心に見ているけど、こわい!なんと怖い!そしてなくもない話かもしれへんと思わされるところがまた怖い。私は見ながら進撃の巨人と通じるものがあると感じるんやけど、ちょうど今第1シーズンを終えたところ。第2シーズンの展開も気になるところ。
コロナの影響でいろいろなことがキャンセルになったりしていて、いよいよその影響が自分のところにも到達しそうで、ひっ、となる。今こそ、そういうのにはもうとらわれず、淡々と行くしかないよなと思っている。
ランダムなメモついでにもう一つ。今YouTubeでたまたま出てきた若かりしタモリさんがやっているJazzを紹介するという番組。これがまた小気味よくいいテンポでしゃべっている様子はたのしい。声だけしか聴いてないはずやのに、口元が緩みながらにやにやしてしゃべっているのが目に浮かぶ。うーん、かっこいいな。
STOP THE HATE from IKEIBI FILMS on Vimeo.
昨日、歩いていると小学生がボールで遊んでいたのが見えた。ボールがそれて、ころころと転がっていくのを一人の男の子が追いかけていた。
結局、田んぼに落ちてしまったからそれをなんとなく眺めていると、男の子はえいやと思いっきりジャンプして田んぼに飛び込んだ。
その様子がなんというかあっぱれで、じいんとした。田んぼに降りるだけやのに、思いっきり踏み切って斜め上に羽ばたきそうな感じで飛んで、背中がしなやかに反っていて、ドラゴン戦でヒーロー覚醒してめちゃくちゃ高く飛んだ時のペコみたいや、と思った。マンガじゃなくて、アニメじゃなくて、ドラマじゃなくて、日常であんなに躍動感のある動きを(遠巻きやけど)目にして、マスクの下の鼻の穴がふんっと開きそうやった。
男の子はパットボールを拾いあげて、ひょいとまた道路に戻っていって、ボール遊びは続行。
一瞬の風景。
この間図書館に行った時に4冊本を借りた。
期限が迫っている。
昨日電車の中で「私の中の男の子/山崎ナオコーラ著」を読み終わった。
めちゃくちゃおもしろかった。主人公「雪村」と自分の立場や置かれている状況は違うけれど、小説の中に出てくる数々のフレーズに共感したり、ぐっっと突き刺されてうううううとうなったり(心の中で)。
久しぶりにああ~、文字を追いかけるって、本を読むって楽しいなぁ、となんか読み終わってそわそわしたな。
昨日、相生に行ってきた。
相生と聞いても、名所や名物がいまいちピンとこない。ただ、ともこさんと私の家のちょうど中間くらいの場所が相生くらいだからそこで会うことにしようと落ち着いたのだ。
こういう感じの待ち合わせ場所の決め方は久しぶりで以上にわくわくした。誰かと待ち合わせるなんて、大きな町か何かがあるところというのが定番というもの。しかし、今回はただただ「間を取って」というだけで相生にスポットライトがあったのだ。
でも、久しぶりに会う友達、そしてころ中であんまり人のたくさんいるところに行くのもどうも気が引ける、とあれば、この相生で会ってお茶をするというのは至極理にかなった理想的な待ち合わせ場所にも思えてくる。
降り立ったことのない町に降り立つのは面白い。車のナンバープレートが自分の車と一緒なのに、この町を通り過ぎたことはあるけど、電車で降り立つのは初めて、という相生と私の不思議な距離感。
久しぶりに会う友達は元気そうで、マスクの上からでもお互いの笑みがこぼれるのがわかった。ただひたすらに南の方面に向かって足を動き出して、車などに気をつけながら、街並みをほぅほぅと楽しみながら、早速話す。
相生はペーロン祭りで有名で、まぁ、それくらいしか知らんのやけど、南に歩ききったら海にぶつかって、ワンになって波がほとんど立っていないその場所こそが、おそらくペーロン祭りの会場になっているのではないか、と想像された。
遊歩道も整備されていて、階段上になった観覧席のような石があって、そこに腰かけながら海を眺めつつ、いろいろな話をただだらだらと続けた。
昼時になっておなかがすいたら立ち上がって、またうろうろしてご飯を食べられそうなところを探し、おなかが満たされれば、また街並みをゆっくりと楽しみながら歩いた。そして、お茶を飲もうと言ってきっさてんを探し、またうろうろと歩いた。
天気が良くて、寒すぎず、歩いたことない町を友だちと雑談しながらうろうろする。別にショッピングをするわけでなし、ただ話す。
すごく贅沢な一日の過ごし方やったな。またやろう。
ぼんやりしていたらもう水曜日。
毎月投稿している関西ウーマンのコラムが今月も公開された!メヒコから離れるほどに、リアルタイムではないからフレッシュさには欠けるかもしれへんけど、妙に哀愁と愛情が深まっているような、そんなコラムです。
https://www.kansai-woman.net/theme742.html
寒いなぁ。
私の住んでいるアパートはリビングとダイニングがズドーンと繋がっているので広くて日当たりがいいのでいい。しかし、冬(そして夏も)は部屋が小さいほうがありがたい。というのも冷暖房が効きにくくなるからだ。
リビングにはソファーとカフェテーブルしかないのでダイニングのテーブルでいつもパソコンなどを使っていたけど、寒さがなかなか厳しくなってきたのでどうしたもの考えていた。
目についたのはカフェテーブル。これを底上げしたらええ感じにテーブルになるんではないか、と思い始めたら、「やってみたい」気持ちがすごい勢いで「いいんちゃうかな」という淡い気持ちを追い抜いて行った。リンゴ箱を棚として使っているので、リンゴ箱を足に置いたらええと思っていて、それを試したくて試したくて。
高さがええ感じで思った通りや!!と思ったのもつかの間、やはり足を入れるスペースというのがないから若干使いづらい。この若干というのがポイントで、長時間使っているうちにいらいらしそうな感じ。
翌日、シルクスクリーンを刷るときに使っているメラミンの大きいボードがあるんやけど、それをのせて、より机らしくした。足がカフェテーブルの脚にぶつかることもなく、これはまさにテーブル。
ええ感じや。
と思いながらいま、このブログをカタカタと書いている。
年末に家に帰っている間にだらだらとテレビを見ていたけど、なんか、コマーシャルが老人向けのものが多いことに気が付いてびっくりした。
健康食品とか、おむつとか、とにかく老齢者向けのものが多くて、日本の高齢化が進んでいるのをなんか間接的に感じてぞっとした。
あるいは、若い世代のテレビ離れが加速しているからそういう人には別の場所で広告が打たれているだけかもしれへんけど。
普段テレビがない生活をしているもんやから、久しぶりにある環境に行くと自分がテレビをよく見ていたころとの変化というか、違いがすごく際立ってみえる。
寒波が来てる。寒い。
寒くて暗いから朝が起きにくい。今朝は携帯の画面を見たらマイナス4度表示。
くぅ~。ぬくぬくしておきたいぜ、という気持ちもあったけど、えいやーと布団を飛び出した。まだ暗いけど、夜明けのころのぐんぐん空が明るくなってくる感じは結構好き。下の方から赤くなって、上の方がまだ暗いのは、飛行機の上からみる朝と夜の境目を思い出すから、いつもそれを見る瞬間は、外国に思いを馳せられる気がする。
この間、倉敷民藝館に行ってきた。「祈りの周辺」という展示をやっている。
常設展のかごとか椅子とかは相変わらずそこにしっくりとなじんで美しい。使い勝手を考えられて作られた細部の様子を見ていると、使い方がわからなくてもちょっと想像をしてみたくなる。
企画展。祈るという行為は、外国に行くとキリスト教なんかやと毎週ミサがあったり、スペイン語なんかでは日常的に"Dios te bendiga(神のご加護を)"なんて言われたりする(セニョーラの知り合いが多いからかな??)から、日本にいるよりも身近な行為なのかな、という気がしていた。
でも、展示を見ていると、祈るという行為は、世界のどこにでもあるものだとつくづく感じた。自然の中に人が暮らす。どうか無事でありますように、どうか自然の災害から身を守れますように。どうか安全に暮らせますように。と、私たちの周りには様々な祈りがあることに気が付く。
祈りの対象とされた石像や木像の顔の表情はどれも優しい顔をしていて、なんかすごく気持ちが穏やかで温かくなった。
最近のニュースを見ていると、そんな気持ちになることが本当にないなと思う。こわいなとか、やばいなとか、なんでやねんとか、憤ることが本当に多い。私利私欲を優先しているとしか思えないような人たちが権力を持っていること見せつけられているようなやるせない気持ちにさせられてばっかりだ。
暮らしというと身近な感じがするけど、世界というと漠然と大きな感じがする。でも、それぞれの人のくらしが世界をつくっているのだから、やっぱり暮らしを大切にして、自然の中で生かさせてもらっているんだという点を忘れないようにしないとな、と思う。
2020年が終わった。本当に変な年だったな、とつくづく思う。
何もなかったかというとそうでもなくて、むしろ個人的なライフイベントとしてはかなり変化のあった一年だった。6年弱住んだオアハカから日本に引っ越してきたことや、それに伴う夫と一緒に住み始めたことなんかは結構パンチのあるイベントだった。のに、それすらかすむようなその後のコロナ。ほんま、何が起こるかわからへんとはわかっていたようなつもりだったけど、世界規模で何が起こるかわからへんというのを知ったな。うん。
2020年の年始に立てた目標。①本を読む②恐れず、面倒くさがらず挑む③自分は自分
①本を読む、これについては2019年よりは読んだけど、ほんと常に生活するという感じではなかったな。むらがあった感じ。だから、あんまり呼んだという感触がない。残念。
②恐れず、面倒くさがらず挑む、これは、「何に」挑むのかぼかされているので目標自体があまりよくないと今思うけど、新天地において、シルクスクリーンをできる環境を整えるという点では、自分が気に入るマテリアルを実際にお店に足を運べない(実物をチェックできない)という中では何とかメヒコで学んだことが活かせるものを見つけることができたと思う。ただ、それより先の「挑む」というレベルだったかというと、それは疑問。
③自分は自分、2019年は状況に参っていたのか、自分をあんまり認められずにスタートしたのか。たぶん、そう思うこと自体が自意識過剰というか心に余裕がなかったのだと思う。膨大な情報はいらんので、必要なものを選び取ってそれを咀嚼して力にかえていけるようになりたい。こんな目標を立てる以前に、自分は自分でしかあり得へんし、何ならその先に行くために背中を押せるくらいになりたいと今は思う。
2020年を振り返る、以上。2021年はもっとカラッと行けるように、日々精進やな。とりあえず、ここで振り返ったので、2020年は完!
この間、実家に行ったらあんちゃんが泊まりに来ていた。
あんちゃんはお菓子の家づくりキットを家から持ってきていて、その家の建設の真っ最中やった。一緒にやったけど、つまみ食いがすごかった。デコレーションのチョコとかも隙あらば(いや、もはやこそこそとはせず堂々としたものやったな。)なめまくっていた。
何とか完成したけど、一緒に食べるのはな……ちょっとはばかられた。笑
あんちゃんは自由やなぁ。
この間whatsappの通話機能でみさよさんと話した。みさよさんは、オアハカでめちゃくちゃ世話になった日本人の方で、オアハカにはもう10数年住んでいらっしゃる。
オアハカから日本に戻ってきてから、ほんまにすぐ、メヒコの方でもコロナが騒がれだした。日本は、ダイアモンドプリンセス号の件が落ち着き始めて各地で感染が徐々に確認されだしていた。という感じなので、メヒコやオアハカのコロナ禍の様子は、自分では経験しておらず実は知らない。
何か月か前に友達が「コロナのこと最初は信じてなかったけど、親戚がかかってそれから信じているよ!」と言っていたのとか、つい先日「実はコロナにかかっていて、今回復してきている途中」というていたのとか、感染が日本にいるよりはもっと身近なのかも、という風に思っていたけど、今回みさよさんと話して衝撃の事実を知ることとなった。
オアハカでは今めちゃくちゃマスク着用に厳しいのだそう。マスクなしで道を歩いてしまったら、「ちょっとあんた!マスクちゃんとしなさいよ!」と通りすがりのおばちゃんに注意されたり、店もマスクなしでは入店できないし、人数制限も行われているのだとか。
このあたりは日本よりも厳しいというか、ちゃんとしているからびっくりした。
さらに、オアハカの周辺の村々では、村単位でそれぞれの対策がなされているらしく、村民以外は村に入村することができない(村民である証明の通行手形みたいなやつが必要らしい)とか、どうしても入村しないといけない場合は、医者に書いてもらった証明書を見せたり、あるいは滞在できる時間が決められたりしているらしい。
これはなんやろう、政府とかの対応は当てにならへんから自衛するという自治の考えなのか。いずれにしても、村にはウイルスは持ち込ませない!というのが伝わってくる。
あとオアハカ内のどこの話だったかは忘れたけど、車丸ごと消毒されたりもするのだそう。車に乗っている人たちは外に出されて、内部をアルコールの噴霧液みたいなのをシャーっとかけられるのだそうだ。日本でそんな光景観たことない……!と思うと、やはり、メヒコは簡単に自分の想像の範囲を超えてくるというかなんというか。日本にいて、日本のニュースばっかり見ていると、すっかり基準が日本基準になってしまっていたな、とはっとした。
ウイルスの広がり具合や各国の対策は、もはや現地に住んでいる友達とかから聞く話が一番信頼できる情報で、ニュースを見る限りではようわからへん。インターネットとかで世界はもっと身近になってきてるんじゃなかったんか。とにかくみんな元気でこれを乗り越えてまた実際に普通に会えるようになりたいと願うばかり。
情報と言えば、今日Facebookのポリシーの改定があったのだとか。なんか今年は急に自分の心がFacebookとうまくやっていけなくなったから、遠ざかっているけど、Instagramを使っているから結局Facebookをやっているのと変わらんのやけど。個人情報がどんどんと吸い取られてプライバシーの侵害が進んで、Facebookのポリシーのところを読むと、それぞれの顧客のニーズや嗜好に合ったものを提供するために、とか書いてあるけど、それが進むにつれて、なんか息苦しくなってくるのは何やろう。自分にとって他者やAIが勝手に選んだベストなものを押し付けられているようやからかな。自分の好きなものはやっぱり自分で見つけたり選んだりしたいし、情報があふれているのにどれも信用ができひんかったり、上辺が強烈でもう咀嚼できそうにないから受け入れたくないというか、シャットダウンしてしまうというかなんというか。それを怠ったらまるで社会と分断されたような気持にさせられて、なかなか気持ちが追い付かへんかったよな、ほんま。今も追いつかへんから、こうしてブログを思いついた時に思い付くままに書いているんやけれどな。なんかすごい時代になってきたなぁ。
いい波が来てるけどサーフィンは別にしたくないから、素潜りでシュノーケリングをすることにして、なんか変なものやきれいなものを見ているという感じがする。でかい声で独り言を言いながら。「なぁ」と言い合えるパートナーや家族や友だちのことをほんまにありがたくいと大切に感じる今日このごろ。
9月くらいから地道にまさみのワークスペースを借りて、月一でワークショップをしたりしたなかで新しく知り合った人たちや、知ったことというのは小さなつながりかもしれないけどどの話もどの情報もその人の経験してきたことを共有してもらっているので、やはり自分にとっては新しく目を見開かされるものでおもしろかったし、そういう経験がこのご時世の中でできたというのはほんまラッキーやった。
遠くに思いを馳せることは、近くのことをしっかりと見つめないとできないことかもしれないと最近は思う。思いや考えを巡り巡らせることになった2020年、年が終わるころに結局身近なところにたどり着きそう、というわけなんやけどな。あと10日で今年が終わるとは。信じられへんし、なんか変な感じ。
久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。