新年を迎えて、早1週間が……。
早いな。
12月25日から1月3日間まで、年末年始は旅にでておりました。
浮かれた日記で書いていたとおり、行き先は屋久島。
鹿児島空港に降り立つことになっていたから、どうせなら初めての鹿児島もうろうろしたいなぁ、とちょっと欲張って鹿児島もふらふらとしてきた。
最初の何日かは、鹿児島の巻。
一応、行き帰りの飛行機は変更不可やから、自分らの動きというか最低宿泊地はちゃんと決めていた。
でもそれも、初日から変更変更の毎日。
伊丹空港で、登場数十分前に、その日の行き先を変えることにして、だめもとでホテルに電話。
頼んでみれば何とかなるもんやなぁ。
まず最初に向かったのは、霧島。
街中に硫黄の匂いが立ち込めていて、ニュージーランドのロトルアが思い出された。
いたるところから白い煙がもくもくとふきだして、空に上っていく様子を見て私らのテンションも急上昇なのでした。
じゃらんでみつけたこのたび唯一のホテル泊。
というても、3000円くらいのもんやけど。
でも、あたしらみたいなもんがこんな贅沢させてもうてええんすか!!!というくらいのええところやった。
特に、最上階にあった展望温泉からは遠くの方に桜島が見えて、あたしみたいなもんがこんなええところに……!!!となぜか申し訳ない気分になったのでした。
そんなことを言うてる割には、何回も温泉に入りにいって、ちゃっかり無料のコーヒー券まで使ってきた。
温泉も良かったけど、その蒸気でふかしたおいもさんを食べてんけど、それがめちゃくちゃおいしかった。
1泊しかしてへんのに、2回も食べた。
1回目のは、100円のくせにありえんでかさのいも。
2回目のは、100円のくせにありえんあまさのいも。
いやぁ~、霧島いいなぁ~~。
翌日、霧島神宮へ向かうことにしていたら、バスにまんまと乗り遅れて次のバスが来るまで足湯を楽しむことにした。
すると、漫才コンビのような博多弁のおっちゃん二人組みが神宮まで乗せていってくれるという。
別にヒッチハイクを試みたわけでもないのに、ラッキー。
このおっちゃんらがマイペースで、出発まで足湯をしたり昼ごはんを食べたり、ガソリンを給油するというて数キロ神宮と逆の方向へ車を走らせてみたり、いちいち面白かった。
関西人が九州人の物まねをするときにいいそうな「よか!!!!」という言葉を聞けて妙に感動。
おお~~~、ほんまに「よか」って言うんや~~~!!!!
道の駅を見つけては、いきなり左折してはいっていってしまうし、おかげで絶景にありつくことができた。
路線バスでいってたら寄られへんところやもんなぁ。
おっちゃんたち、ありがとう!!!!!
その後、鹿児島市内へ。
鹿児島ではリトルアジアという1泊1500円というありがたや~、なバッパーにお世話になった。
そこを拠点に、桜島に行ったり、指宿・知覧・枕崎へも足を伸ばした。
桜島は、結局レンタカーをして1周したけど、ビジターセンターで歴史を知れたのが面白かった。
ここでも足湯があって、しばらく本を読んだりしてのんびり過ごした。
そこが桜島であることを忘れて、ふと顔を上げると、溶岩でえぐられた山肌がズドーンと目に飛び込んでくる。
なんかしらんけど、原始時代に来たような気分になって、そのたびににやける。
指宿は、有名な砂風呂を楽しみ、枕崎ではかつおが有名やというからそれをいただいてきた。
そして、知覧。
ひときわ印象に残る街だった。
知覧は、第二次世界大戦中特攻基地があった場所として知られているけど、私は恥ずかしながらそれについて詳しいことを知らんかった。
平和会館を訪れたんやけど、ショックやった。
特攻隊として命を落としていった人たちは、20代の若者がほとんどだったそうだ。
中には、10代の少年もいたというから心が痛む。
展示されてあるのは、彼らの遺品や遺書など。
両親や肉親に宛てた遺書や、別れの言葉は本当に読んでいて辛かった。
また、全ての特攻隊の人の顔写真があるんやけど、その片隅に、身内の所在地が不明なので心当たりの人は連絡をください、といった付箋が貼られていて、それにも胸が痛んだ。
広島では、戦争そのものの恐ろしさを感じさせられるけど、ここ知覧では、戦争の非常さとそれに翻弄された人々の悲しさを感じさせられた。
どうして、彼らはいかなければならなかったんだろうか??
三角兵舎と呼ばれる、特攻隊員たちが出撃まで寝泊りした建物が再現されて建てられてある。
平和会館をぐるりと見たあとにその三角兵舎に入ると、ほんま、なんとも言えない気持ちになった。
特に何もなく、簡素な寝具が等間隔に並べられてある程度で、その中で最後の手紙をしたためたのかと思うと、言葉が出ない。
知覧、本当に訪れてよかったと思う。
鹿児島最後の夜、次の日の屋久島へのフェリーの出航が早いので支度をしていた。
すると、一人で旅をしている風の女の人に声をかけられた。
「ここって、ドライヤーの貸し出しとかあるんですかねぇ??」
それをきっかけに話し始めたら、その人も次の日に屋久島入りするということが分かった。
朝が早すぎてやむを得ずタクシーを使うことにしていたから、一緒に乗り合わせて割り勘しませんかと申し出てみると快諾。
その話を聞きつけた今まさにやってきたばかりの人も、私もいいですか?、と聞いてきたので、多い方がええやん~、というわけでその2人とまさみと私の4人で乗り合わせていくことが決定した。
後で振り返れば、この一言がなければ屋久島の旅もずいぶんと違ったものになっただろうなぁ、と思う。
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