昨日、今日で立て続けに読みかけていた本が読めた。
さて、次は何を読もうか。
その1【特攻基地 知覧 / 高木俊朗】
これは、年末年始旅で知覧を訪れた時に知った知覧の悲しい歴史をもうちょっと掘り下げて知りたいと思ってこうたもの。
でも、知覧についての本を買おうと思って見つけたわけではなくて、友達が電車で読む本を買いたいからとのこのこ着いていった古本屋で、偶然「知覧」という文字が目に飛び込んできてこうたのです。
ずっしりと読み応えのある内容で、一気には読み進められへんかった。
鹿児島の地名が多く出てきて、ちょうど訪れたばかりの土地ばかりだったので、訪れた各々の土地を思い出しながら、あそこにはこんな悲しい過去があったのかとやるせない気持ちになった。
特に、開聞岳の前に咲き乱れていた菜の花の穏やかな様子を思い出すと切ない。
沖縄を目指すのに、あの山を目指して知覧を飛び立って行ったんやなぁ、と思うと、どんな思いであの山をこえたんやろう。
一読の価値があると思う本です。
その2【河童が覗いたインド / 妹尾河童】
インド本の中ではこれが一番!!!!、と誰から聞いたんやったっけ。
忘れたけど、とにかく、無性に読みたくなってこうてびっくり。
スケッチはもちろん、文字までが河童さんの手書きなのです、このシリーズ。
文庫本では分厚い部類に入ると思うけど、この本ほど時間をかけさせられた本はない、というくらい読むのに時間のかかる本やった。
さっきも言うたけど、全部手書き。
こんな本に対して、お気軽な気持ちでなんか読んでられへんっ!!
読む時は隅から隅までゆっくりよんで、スケッチも端から端までしばらく眺めて、気づけば文章にも絵にもニヤニヤがとまらへん。
河童さんのスケッチの精密さに驚くのもさることながら、文章から伝わってくる彼の好奇心の固まり具合、洞察力の鋭さにはへへぇ~っと、頭があがらへん。
この本を読むと、「何で??」という疑問を持って「知りたい」気持ちで何事も面白がることこそが、その人の旅を、ひいては生き方を豊かにするんやなぁと感じるばかり。
偏見なく、自分の目線で物事を見るとこんなにも物事の本質が見えるんやということも教えてくれる気がします。
『他との違いを認めなければ、生きていけない』という言葉が印象的。
その3【ガンジス川でバタフライ / たかのてるこ】
なんか、これってドラマ化されたんやんなぁ?!
なんか、タイトルを聞いたこととある気がして。
これも古本屋でたまたま目にはいったからこうてみた。
ボリュームはあったけど結構あっという間に読めてしまった。
同じインドというだけでひとくくりにしてはいけないと思いつつ、河童さんの本を読み終えた後ではちょっと物足りひんかった。
河童さんの方は、出発は彼の興味や疑問なんやけど、それが歴史的な背景を伴って解決されているから読み手もふむふむ、という感じなのに対して、こちらはたかのさんという人間がインドで何を考え、何を感じたかという主観的な要素が大きい。
誰かの面白いたびの話を聞いているような感覚ですらすら読めるのは面白かった。
インド、行ったことがないから、本を読むとちょっとはその輪郭が見えるかなぁ、とか思ったけど、甘かった。
なんなら、ますます「いったいどんな国なんやろう?!」と謎は深まるばかりな気がする。
でも、どちらの本からも、インドの持つエネルギーのすさまじさ、いつか味わってみたい!!!と感じさせられた。百聞は一見にしかずって言うしな。
この本は、最後の「おわりに」のところがすごくいいなぁと思う。
「旅」とは自分にとってなんなんか、それと真剣に向かい合っていて、その気持ちの熱さが最も伝わってくるところやなぁと思った。
2009-01-16
2009-01-14
代償
今日は京都の叡電沿線をぶらぶらしてきた。
行ってみたかった鞍馬にもついに行くことができた。
しかも、雪が積もっていた!!!!
雪景色の京都とはこれがまた乙なんやわ。
駅のポスターのコピーにもうんうんと頷きまくり。
「日本に京都があってよかった。」
ほんまに!!!!!
雪は、見た目に残っているだけでなく、道にもがっつり積もっていた。
根っこが地面の上に出てきているよりもさらに積もっていたから、ほんま、真っ白。
雪はやっぱりテンションがあがるから、ざくざくつき進んでいくんやけど、溶けかけてシャーベットみたいになったところが危なかった。
滑りそうな上に、びちょびちょになるのは必至。
鞍馬側から登って、貴船の方に抜ける頃には水滴りまくり。
さむっ。
その後は乗り放題券を持っていた叡電に無駄に乗りまくった。
元田中で、前歩いていた時に見つけて気になっていたメキシカンに入って腹ごしらえ。
日本人がしてはるみたいやけど、店内は現地色が強くて南米の本も多くおいてあったからしばらく本を読んで情報収集。
会計の時に、コインランドリーの場所を聞いたきっかけに(もちろん靴がまだびちょびちょやから、靴乾燥機目当て。)、店の人と少し話を聞いてみたら、やっぱり住んでいたとのこと。
ますます熱い国だ、メヒコ!!
それから一乗寺に戻って、萩書房と恵文社へ。
恵文社ではたまたまやけど、紙の特集が組んであって、久々に紙にときめいた。
これでノートを作ろう。
今、帰りのバスの中。
あ~、足が寒い。
きれいな雪山の景色を見られた代償は重く、地味にまだ続くのだ。
足~。
行ってみたかった鞍馬にもついに行くことができた。
しかも、雪が積もっていた!!!!
雪景色の京都とはこれがまた乙なんやわ。
駅のポスターのコピーにもうんうんと頷きまくり。
「日本に京都があってよかった。」
ほんまに!!!!!
雪は、見た目に残っているだけでなく、道にもがっつり積もっていた。
根っこが地面の上に出てきているよりもさらに積もっていたから、ほんま、真っ白。
雪はやっぱりテンションがあがるから、ざくざくつき進んでいくんやけど、溶けかけてシャーベットみたいになったところが危なかった。
滑りそうな上に、びちょびちょになるのは必至。
鞍馬側から登って、貴船の方に抜ける頃には水滴りまくり。
さむっ。
その後は乗り放題券を持っていた叡電に無駄に乗りまくった。
元田中で、前歩いていた時に見つけて気になっていたメキシカンに入って腹ごしらえ。
日本人がしてはるみたいやけど、店内は現地色が強くて南米の本も多くおいてあったからしばらく本を読んで情報収集。
会計の時に、コインランドリーの場所を聞いたきっかけに(もちろん靴がまだびちょびちょやから、靴乾燥機目当て。)、店の人と少し話を聞いてみたら、やっぱり住んでいたとのこと。
ますます熱い国だ、メヒコ!!
それから一乗寺に戻って、萩書房と恵文社へ。
恵文社ではたまたまやけど、紙の特集が組んであって、久々に紙にときめいた。
これでノートを作ろう。
今、帰りのバスの中。
あ~、足が寒い。
きれいな雪山の景色を見られた代償は重く、地味にまだ続くのだ。
足~。
2009-01-13
チャリンコ
こないだ、大学の時の友だちと大新年会をしたその延長で、おばあちゃんちにおります。
昨日は寒さで一歩も外に出てへんへたれっぷりやってんけど、今日はうろちょろしてきた。
築港というエリアなんやけど、街自体がアートで盛り上がろうという試みをしているみたいでその一環として、無料レンタルサイクルを貸し出してくれているという情報をキャッチ。
おお~、すばらしい~。ひひひ
NPO支援施設で大阪の国際交流の情報をみてみて、あ~、家がもっと近かったら参加したいのになぁ~と思ったり、昭和10年に建てられたというビルにカフェが入っていてそこで手紙を書いたり、本を読んだり、海に沈む太陽をみたり、このエリアを満喫。
いやー、今まで全然知らんかったところとかいっぱいでびっくりした。
今日使ったお金、600円。
いや~、よう遊べた。
昨日は寒さで一歩も外に出てへんへたれっぷりやってんけど、今日はうろちょろしてきた。
築港というエリアなんやけど、街自体がアートで盛り上がろうという試みをしているみたいでその一環として、無料レンタルサイクルを貸し出してくれているという情報をキャッチ。
おお~、すばらしい~。ひひひ
NPO支援施設で大阪の国際交流の情報をみてみて、あ~、家がもっと近かったら参加したいのになぁ~と思ったり、昭和10年に建てられたというビルにカフェが入っていてそこで手紙を書いたり、本を読んだり、海に沈む太陽をみたり、このエリアを満喫。
いやー、今まで全然知らんかったところとかいっぱいでびっくりした。
今日使ったお金、600円。
いや~、よう遊べた。
2009-01-09
うろうろにやにや
一応毎日うろうろしております。
せなあかんことは一向にしていない気が。
ガッデーム。
でも、うろついているとやっぱり面白いことがあるわけで。
昨日は、なぜか雑貨屋で保険の相談会。
ゆかいな雑貨や店主と、愉快な保険屋と楽しい時間を過ごしていたらば、4時間も居座ってしまっていたよ。ははは。
そこで、見つけた気になった張り紙。
「味覚の展示場」。
イベントそのものよりも、それを作っただろう人に興味が。
絶対これは、岩田健三郎さんに違いない!!!と思って、itsumoさんに確認したらば、やっぱりそうやとのこと。
岩田健三郎さんは、姫路の版画家のおっちゃんなんやけど、姫路市の小学校で使われているドリルの表紙はこのおっちゃんの版画なのです。
あたしが小さいときも、そして今も!!!!(2学期小学校で働いてる時にそれを知って、びっくりした!!!)
版画や絵の活動にとどまらず、菓子博の時は、地元姫路の食べ物を盛り上げることもしてはった。
この味覚の展示場は、きっとそのプロジェクトの一環やろう~、と思いながら、そんなことよりも驚いたのが、健三郎さんが毎月(ここ、ポイント!!!)発行していると言う雑誌を見せてもらって、度肝を抜かれた!!!!
かなりの頁数(1センチくらいはある)で、しかもほとんどのページの文字は手書きなのです。
どどど、どういうことや、これは?!?!?!
すごすぎる。
というわけで、今日は車の点検に行った帰りに川のほとり美術館に行ってきた。
健三郎さんの娘さん夫婦がいてはるとのことで。
ずっといってみたいと思いつつ足を運べていなかったところ矢から、ええ機会になったわ。
気球の写真展がしていて、それをぶらりとみながら、コーヒーを飲んで帰ることに。
コーヒー飲みがてら、その雑誌を読んで帰ろうと思っていたら、娘さん夫婦としゃべることに。
いろいろ話をしていたら、文房具好きというところで意気投合して、記念に鉛筆をもらった。
東京のつくし文具店というところが作っているちょっと太めの4Bのえんぴつで、書き心地がめちゃくちゃよい!!!!
雑誌のこともいろいろ聞いていたら、紙は市内の紙の会社の物を使っていて、印刷は自宅でおこなうらしく、製本だけプロに頼んでいるらしい。
もちろん、その会社と言うのも地元の印刷会社。
この徹底した地産地消的なサイクルがすごい!!!!
こういうムーブメントがもっと活発になれば、地域からどんどんオモロイことを発信する人がふえるんやろうなぁ~~。
いやぁ~、すてきな場所にめぐりあったもんや。
うれしくてわくわくする。
http://www.shoku-tinoza.net/index.html
雑誌は、これを編集したものらしい。
毎日絵と文が更新されるとのこと。
すげーバイタリティや。
せなあかんことは一向にしていない気が。
ガッデーム。
でも、うろついているとやっぱり面白いことがあるわけで。
昨日は、なぜか雑貨屋で保険の相談会。
ゆかいな雑貨や店主と、愉快な保険屋と楽しい時間を過ごしていたらば、4時間も居座ってしまっていたよ。ははは。
そこで、見つけた気になった張り紙。
「味覚の展示場」。
イベントそのものよりも、それを作っただろう人に興味が。
絶対これは、岩田健三郎さんに違いない!!!と思って、itsumoさんに確認したらば、やっぱりそうやとのこと。
岩田健三郎さんは、姫路の版画家のおっちゃんなんやけど、姫路市の小学校で使われているドリルの表紙はこのおっちゃんの版画なのです。
あたしが小さいときも、そして今も!!!!(2学期小学校で働いてる時にそれを知って、びっくりした!!!)
版画や絵の活動にとどまらず、菓子博の時は、地元姫路の食べ物を盛り上げることもしてはった。
この味覚の展示場は、きっとそのプロジェクトの一環やろう~、と思いながら、そんなことよりも驚いたのが、健三郎さんが毎月(ここ、ポイント!!!)発行していると言う雑誌を見せてもらって、度肝を抜かれた!!!!
かなりの頁数(1センチくらいはある)で、しかもほとんどのページの文字は手書きなのです。
どどど、どういうことや、これは?!?!?!
すごすぎる。
というわけで、今日は車の点検に行った帰りに川のほとり美術館に行ってきた。
健三郎さんの娘さん夫婦がいてはるとのことで。
ずっといってみたいと思いつつ足を運べていなかったところ矢から、ええ機会になったわ。
気球の写真展がしていて、それをぶらりとみながら、コーヒーを飲んで帰ることに。
コーヒー飲みがてら、その雑誌を読んで帰ろうと思っていたら、娘さん夫婦としゃべることに。
いろいろ話をしていたら、文房具好きというところで意気投合して、記念に鉛筆をもらった。
東京のつくし文具店というところが作っているちょっと太めの4Bのえんぴつで、書き心地がめちゃくちゃよい!!!!
雑誌のこともいろいろ聞いていたら、紙は市内の紙の会社の物を使っていて、印刷は自宅でおこなうらしく、製本だけプロに頼んでいるらしい。
もちろん、その会社と言うのも地元の印刷会社。
この徹底した地産地消的なサイクルがすごい!!!!
こういうムーブメントがもっと活発になれば、地域からどんどんオモロイことを発信する人がふえるんやろうなぁ~~。
いやぁ~、すてきな場所にめぐりあったもんや。
うれしくてわくわくする。
http://www.shoku-tinoza.net/index.html
雑誌は、これを編集したものらしい。
毎日絵と文が更新されるとのこと。
すげーバイタリティや。
2009-01-08
年末年始旅 屋久島2
翌日、5時くらいにゆっこちゃんから連絡があり、まさかの縄文杉登山断念。
というのも、さすがは標高の高いところがある屋久島、この時期は雪も降るのです。
登山口までの道路が凍結して通行止めになっているらしいので、諦めざるをえんみたいやった。
そのかわり、島内一周をすることに。
ゆっこちゃんの宿に、前に屋久島に住んでいたという人がいて、その人が案内役をかってでてくれたのです。
縄文杉もその人のガイドで行くことになっていたけど、それが無理になった今、急遽島一周ガイドにはや代わりしてくれたというわけ。
前日、違う山に登山に行っていたあけみちゃんも急遽参戦。
結局車2台8人でぞろぞろと回ることになった。
島を一周すると、島内でも場所によって全然天気が違うのが分かる。
さっきまで曇っていたかとおもうと、うそみたいに晴れているエリアがあったり、その逆ももちろん。
だから、虹によく遭遇する。
最近虹なんてあんまり見ていなかったのに、それが数時間のうちに何回も現れるもんやから、なんか幸せな気分になった。
この日の昼ごはんは、まさかのコンビニ。
というか、まさかの昨晩と同じコンビニ!!!!!
尾之間では、前日とは違う高級な温泉へ。
でも、海の目の前でめっちゃ贅沢な気分になれる。
天気もいいエリアにあるから、さらにテンションあがって昼間っから極楽極楽。
一人旅の大阪の姉さんと、東京のキュートなおばちゃんと露天でしゃべる。
おばちゃんは、排水溝に流れる水の音を聞いて、「屋久島はこの時期にもせみかしら??」と真顔で言うていた。
「ちゃうとおもいます!!!!!」と、おばちゃん、みんなから総突っ込みを受ける羽目に。
またまた宮之浦に戻って例の釣具屋の民宿に。
その晩は、大晦日。
宮之浦の神社で、年越しの太鼓の演奏があると聞きつけて、戻ってくることにしたのです。
そしたら今度は、民家ゾーンやと思っていた2階に案内された。
2人には広すぎるくらいの部屋で、真ん中にはおこたがばばーんと置いてあった。
それを見た瞬間、鍋しかない!!!!!!鍋しか食べたくない!!!!もたもたして今晩もコンビニで済ますことがあってはならない!!!!!と、車をスーパーへ走らす。
宿で見かけた食料の買出しをしたそうな二人組みも一緒に乗せていってあげることにした。
関西人やということは一発で分かったけど、話をしていると、前日白谷雲水峡ですれ違った二人組みやということが判明した。
一人がサンタの帽子をかぶっていて、なんか「ここの湧き水は飲めますか?!」とか聞いてきたから、「のめるんちゃうー??」と適当に受け答えをしていた、あの人たちやった。
いくら島が小さいからというても、こんな偶然もあるもんやなぁ、と関心。
駆け込みで行ったのが逆に良かったのか、破格値(特に魚介類)で鍋の材料を買い揃えることができた。
水炊きをちょちょいとして、まったりしていると宿のおっちゃんが「焼酎を飲まんか?」 と誘ってくれた。
宿に泊まっているほかの人たちも続々とやってきて、みんなで大きなおこたを囲んで2008年最後の時間を一緒に過ごした。
全国いろんなところから、いろんな方法でここにやってきた人たち。
とびうおを食べたことがないというと、おっちゃんがホットプレートを持ってきて焼いてくれた。
さすが、釣具屋がメインなだけあって、魚介類には事欠かへんみたい。
年の瀬もいよいよ迫ってきて、焼酎に完全にノックアウトされたまさみを連れて、年越しの太鼓の儀式を見るために神社へ行った。
現場に着くと、白谷雲水峡の太鼓岩で一緒になった女の子と再会した。
南の方の宿に泊まっていると聞いていたけど、この太鼓を見るために、北上してきたとのことだった。
ゆっこちゃんやホッシーもいて、一緒に太鼓を見た。
知った顔に出会うとほっとして、ついつい大きな声でしゃべってしまう。
笛の音が響き渡って、暗闇にめらめらとオレンジの火の光が際立った。
太鼓の音がずんずんと響いた。
太鼓が終わると、いつの間にか年が明けていた。
あけましておめでとうと口々に言い合い、酒が振舞われて、もちがまかれた。
大変やったのはその後。
省略。
元旦、早くから電話が立て続けに鳴った。
縄文杉登山が無理になった代わりに、元日はモッチョムだけ岳登山をすることになっていた。
起きて準備をしながら、「なんか違う気がする」と釈然とせえ変気持ちが私の中にあった。
睡眠が十分じゃなくてちょっとだるいのもある、でもなんか、ほんまに今日登山なんかできるんか??モッチョムなんか登れるんか??という疑問が頭の中をぐるぐる回る。
準備をしながら、もう一度ガイドブックをみて、やっぱりやめておこうかな、プランBを考えた方がいい気がする、と思った。
まさみを起こして、辞めておこうかな、と思っている旨を伝えてみたけど、彼女の中では「断固登山」の気持ちが強かったらしく、大丈夫ちゃう?と言われた。
最後の最後まで迷ったけど、行くべきではない、の方がとうとう勝って私は行かないことにした。
いろいろあって、私は宮之浦に残って、再びあけみちゃんが車で迎えに来てくれるのを待つことになった。
宿に帰って、気になっていた二人組みの出発も無事に見送れたから、ひとつもやもやが解消した気分で、二度寝。
ごろんと横になりながら、しけのためにその火のフェリーが結構になったと言う町内アナウンスを聞いた。
意外と早くあけみちゃんが戻ってきて、2人でのんびり再出発。
ヤクスギランドというところがあるからそこへ行くことへ。
行ってみると、路面凍結のために通行止めになっていた。
引き返してすぐそばの展望所に車を止めて景色を見ながらあけみちゃんといろいろしゃべった。
すごく穏やかでいい時間を過ごせた。
しばらくして、もう一度登ってみることにした。
車をしばらく走らせて、いよいよ本当に路面が凍って普通タイヤじゃ危ないかも、というぎりぎりで車を止めた。
そこからは歩いて車道沿いをぶらぶらと歩いた。
屋久島で雪に触れるとは。
やっぱり、歩くスピードがいい。
そこも車道なわけやから、普通にやってきたからびゅんとくるまで通りすぎてしまうような道。
そこをあえて歩くことで、車で着たらきづかへんかったやろうなぁ、という景色を堪能できたんとちゃうかなぁ、と思った。
湧き水を見つけて味見してみたり、雪でボールを作って投げつけたり、誰も踏んでへん雪を踏みしめてにやにやしたり。
途中で猿も見かけた。
キーキーと叫んで仲間とコンタクトを取っている様子。
……こわっ。と思った。
島一周の時に、猿見てみたいなぁ~、と思っていたあのミーハー気分は消えて、猿怖いなぁと思った。
でも、本来はそう思うべきなんよな。
このただの道路を散策した時間は、心にパワーを与えてくれた気がする。
その後登山を終えたモッチョム組みと合流して、そして、あけみちゃんとゆっこちゃんと別れた。
結局屋久島をほとんど一緒にすごした気がするこの2人との出会いはほんま大きかったなぁ。
安房の宿は、またもや寒くて、珍しく早く目が覚めた。
時計を見たら7時前、日の出はまだや。
日の出時刻を調べて、それを見に行ってみることにした。
カメラだけ持って、町をうろうろ。
相違や、この街、まだ街歩きしてない!!!!と言うことに、いまさら気づいた。
雲が厚くて日の出は拝まれへんかったけど、隙間から空がピンクに染まっていく様子を楽しめたから良かった。
小一時間町をうろうろして、バッパーに帰って荷造り。
バスで宮之浦へ。
初日に行って良くしてくれたstax cafeへもう一度。
覚えてくれていて、話が弾む。
出る時に、「フェリーで食べませんか」とポンカンを持たせてくれた。
屋久島でいくつポンカンをもらったことか。ああ、ありがたや。
土産物屋で、安納いもを買い求めていると、オジー2人組みとまきちゃんと再会。
まきちゃんも同じフェリーで鹿児島へ帰るという。
帰りのフェリー、屋久島を出航した時は波が高くて、起きていては酔いそうやったから揺れとともに、寝た。
起きて、看板にでてみたら、ありえへんくらい快晴で、屋久島のあの天気の悪さはなんやったんやろう、と不思議な気分になった。
開聞岳も桜島も、きれいに見えた。
市内は、無理矢理にお正月気分をかもし出していて、なんとなくうんざり。
ブックオフで本を買って、駅でまきちゃんを見送った。
鹿児島のバッパーに戻ると「おかえり~」と迎えてもらってほっこり。
最後の晩、ゆっこちゃんと再会(早速。笑)して、ジョイフルでだら~っと過ごした。
早朝の鹿児島空港。
ありえへん混雑。
あわや、チェックインできひんで飛行機に乗り遅れるかと思った。
伊丹について、モノレールと地下鉄を乗り継いでおばあちゃんちへ。
夕方家族と車で家に帰った。
その日の晩、九州から18切符でぼちぼち帰ってきていたまきちゃんがうちに泊まりにきた。
なんか、自分の旅もまだ続いているみたいでうれしい。
翌朝、まきちゃんを駅へ送り届けて、コーヒーを飲みに行った。
今回の旅は、本当にいい出会いがたくさんあった。
今回限りじゃなくて、再会が楽しみな出会いばかりやった。
このような形で新しい年を迎えられて、ほんま、贅沢。
やっぱり、旅は人生の縮図やなぁ。
いちいちすげぇ!!!とびっくりして、みんなでがははと笑って、体験したことを自分の頭で考える。
出会いの頻度は高いけど、別れが来るのもあっという間。
でも、そうやって新しいつながりができたり、新しい世界とつながっていくんやと思う。
だから、こうやってひとつの旅を貴重なものとして、振り返る今の時間もまた大切なんかな、と。って、ただのだらだら長い日記になってるだけやけど。笑
遅ればせながら、みなさまにとってたのしい一年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願いします。
というのも、さすがは標高の高いところがある屋久島、この時期は雪も降るのです。
登山口までの道路が凍結して通行止めになっているらしいので、諦めざるをえんみたいやった。
そのかわり、島内一周をすることに。
ゆっこちゃんの宿に、前に屋久島に住んでいたという人がいて、その人が案内役をかってでてくれたのです。
縄文杉もその人のガイドで行くことになっていたけど、それが無理になった今、急遽島一周ガイドにはや代わりしてくれたというわけ。
前日、違う山に登山に行っていたあけみちゃんも急遽参戦。
結局車2台8人でぞろぞろと回ることになった。
島を一周すると、島内でも場所によって全然天気が違うのが分かる。
さっきまで曇っていたかとおもうと、うそみたいに晴れているエリアがあったり、その逆ももちろん。
だから、虹によく遭遇する。
最近虹なんてあんまり見ていなかったのに、それが数時間のうちに何回も現れるもんやから、なんか幸せな気分になった。
この日の昼ごはんは、まさかのコンビニ。
というか、まさかの昨晩と同じコンビニ!!!!!
尾之間では、前日とは違う高級な温泉へ。
でも、海の目の前でめっちゃ贅沢な気分になれる。
天気もいいエリアにあるから、さらにテンションあがって昼間っから極楽極楽。
一人旅の大阪の姉さんと、東京のキュートなおばちゃんと露天でしゃべる。
おばちゃんは、排水溝に流れる水の音を聞いて、「屋久島はこの時期にもせみかしら??」と真顔で言うていた。
「ちゃうとおもいます!!!!!」と、おばちゃん、みんなから総突っ込みを受ける羽目に。
またまた宮之浦に戻って例の釣具屋の民宿に。
その晩は、大晦日。
宮之浦の神社で、年越しの太鼓の演奏があると聞きつけて、戻ってくることにしたのです。
そしたら今度は、民家ゾーンやと思っていた2階に案内された。
2人には広すぎるくらいの部屋で、真ん中にはおこたがばばーんと置いてあった。
それを見た瞬間、鍋しかない!!!!!!鍋しか食べたくない!!!!もたもたして今晩もコンビニで済ますことがあってはならない!!!!!と、車をスーパーへ走らす。
宿で見かけた食料の買出しをしたそうな二人組みも一緒に乗せていってあげることにした。
関西人やということは一発で分かったけど、話をしていると、前日白谷雲水峡ですれ違った二人組みやということが判明した。
一人がサンタの帽子をかぶっていて、なんか「ここの湧き水は飲めますか?!」とか聞いてきたから、「のめるんちゃうー??」と適当に受け答えをしていた、あの人たちやった。
いくら島が小さいからというても、こんな偶然もあるもんやなぁ、と関心。
駆け込みで行ったのが逆に良かったのか、破格値(特に魚介類)で鍋の材料を買い揃えることができた。
水炊きをちょちょいとして、まったりしていると宿のおっちゃんが「焼酎を飲まんか?」 と誘ってくれた。
宿に泊まっているほかの人たちも続々とやってきて、みんなで大きなおこたを囲んで2008年最後の時間を一緒に過ごした。
全国いろんなところから、いろんな方法でここにやってきた人たち。
とびうおを食べたことがないというと、おっちゃんがホットプレートを持ってきて焼いてくれた。
さすが、釣具屋がメインなだけあって、魚介類には事欠かへんみたい。
年の瀬もいよいよ迫ってきて、焼酎に完全にノックアウトされたまさみを連れて、年越しの太鼓の儀式を見るために神社へ行った。
現場に着くと、白谷雲水峡の太鼓岩で一緒になった女の子と再会した。
南の方の宿に泊まっていると聞いていたけど、この太鼓を見るために、北上してきたとのことだった。
ゆっこちゃんやホッシーもいて、一緒に太鼓を見た。
知った顔に出会うとほっとして、ついつい大きな声でしゃべってしまう。
笛の音が響き渡って、暗闇にめらめらとオレンジの火の光が際立った。
太鼓の音がずんずんと響いた。
太鼓が終わると、いつの間にか年が明けていた。
あけましておめでとうと口々に言い合い、酒が振舞われて、もちがまかれた。
大変やったのはその後。
省略。
元旦、早くから電話が立て続けに鳴った。
縄文杉登山が無理になった代わりに、元日はモッチョムだけ岳登山をすることになっていた。
起きて準備をしながら、「なんか違う気がする」と釈然とせえ変気持ちが私の中にあった。
睡眠が十分じゃなくてちょっとだるいのもある、でもなんか、ほんまに今日登山なんかできるんか??モッチョムなんか登れるんか??という疑問が頭の中をぐるぐる回る。
準備をしながら、もう一度ガイドブックをみて、やっぱりやめておこうかな、プランBを考えた方がいい気がする、と思った。
まさみを起こして、辞めておこうかな、と思っている旨を伝えてみたけど、彼女の中では「断固登山」の気持ちが強かったらしく、大丈夫ちゃう?と言われた。
最後の最後まで迷ったけど、行くべきではない、の方がとうとう勝って私は行かないことにした。
いろいろあって、私は宮之浦に残って、再びあけみちゃんが車で迎えに来てくれるのを待つことになった。
宿に帰って、気になっていた二人組みの出発も無事に見送れたから、ひとつもやもやが解消した気分で、二度寝。
ごろんと横になりながら、しけのためにその火のフェリーが結構になったと言う町内アナウンスを聞いた。
意外と早くあけみちゃんが戻ってきて、2人でのんびり再出発。
ヤクスギランドというところがあるからそこへ行くことへ。
行ってみると、路面凍結のために通行止めになっていた。
引き返してすぐそばの展望所に車を止めて景色を見ながらあけみちゃんといろいろしゃべった。
すごく穏やかでいい時間を過ごせた。
しばらくして、もう一度登ってみることにした。
車をしばらく走らせて、いよいよ本当に路面が凍って普通タイヤじゃ危ないかも、というぎりぎりで車を止めた。
そこからは歩いて車道沿いをぶらぶらと歩いた。
屋久島で雪に触れるとは。
やっぱり、歩くスピードがいい。
そこも車道なわけやから、普通にやってきたからびゅんとくるまで通りすぎてしまうような道。
そこをあえて歩くことで、車で着たらきづかへんかったやろうなぁ、という景色を堪能できたんとちゃうかなぁ、と思った。
湧き水を見つけて味見してみたり、雪でボールを作って投げつけたり、誰も踏んでへん雪を踏みしめてにやにやしたり。
途中で猿も見かけた。
キーキーと叫んで仲間とコンタクトを取っている様子。
……こわっ。と思った。
島一周の時に、猿見てみたいなぁ~、と思っていたあのミーハー気分は消えて、猿怖いなぁと思った。
でも、本来はそう思うべきなんよな。
このただの道路を散策した時間は、心にパワーを与えてくれた気がする。
その後登山を終えたモッチョム組みと合流して、そして、あけみちゃんとゆっこちゃんと別れた。
結局屋久島をほとんど一緒にすごした気がするこの2人との出会いはほんま大きかったなぁ。
安房の宿は、またもや寒くて、珍しく早く目が覚めた。
時計を見たら7時前、日の出はまだや。
日の出時刻を調べて、それを見に行ってみることにした。
カメラだけ持って、町をうろうろ。
相違や、この街、まだ街歩きしてない!!!!と言うことに、いまさら気づいた。
雲が厚くて日の出は拝まれへんかったけど、隙間から空がピンクに染まっていく様子を楽しめたから良かった。
小一時間町をうろうろして、バッパーに帰って荷造り。
バスで宮之浦へ。
初日に行って良くしてくれたstax cafeへもう一度。
覚えてくれていて、話が弾む。
出る時に、「フェリーで食べませんか」とポンカンを持たせてくれた。
屋久島でいくつポンカンをもらったことか。ああ、ありがたや。
土産物屋で、安納いもを買い求めていると、オジー2人組みとまきちゃんと再会。
まきちゃんも同じフェリーで鹿児島へ帰るという。
帰りのフェリー、屋久島を出航した時は波が高くて、起きていては酔いそうやったから揺れとともに、寝た。
起きて、看板にでてみたら、ありえへんくらい快晴で、屋久島のあの天気の悪さはなんやったんやろう、と不思議な気分になった。
開聞岳も桜島も、きれいに見えた。
市内は、無理矢理にお正月気分をかもし出していて、なんとなくうんざり。
ブックオフで本を買って、駅でまきちゃんを見送った。
鹿児島のバッパーに戻ると「おかえり~」と迎えてもらってほっこり。
最後の晩、ゆっこちゃんと再会(早速。笑)して、ジョイフルでだら~っと過ごした。
早朝の鹿児島空港。
ありえへん混雑。
あわや、チェックインできひんで飛行機に乗り遅れるかと思った。
伊丹について、モノレールと地下鉄を乗り継いでおばあちゃんちへ。
夕方家族と車で家に帰った。
その日の晩、九州から18切符でぼちぼち帰ってきていたまきちゃんがうちに泊まりにきた。
なんか、自分の旅もまだ続いているみたいでうれしい。
翌朝、まきちゃんを駅へ送り届けて、コーヒーを飲みに行った。
今回の旅は、本当にいい出会いがたくさんあった。
今回限りじゃなくて、再会が楽しみな出会いばかりやった。
このような形で新しい年を迎えられて、ほんま、贅沢。
やっぱり、旅は人生の縮図やなぁ。
いちいちすげぇ!!!とびっくりして、みんなでがははと笑って、体験したことを自分の頭で考える。
出会いの頻度は高いけど、別れが来るのもあっという間。
でも、そうやって新しいつながりができたり、新しい世界とつながっていくんやと思う。
だから、こうやってひとつの旅を貴重なものとして、振り返る今の時間もまた大切なんかな、と。って、ただのだらだら長い日記になってるだけやけど。笑
遅ればせながら、みなさまにとってたのしい一年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願いします。
年末年始旅 屋久島1
朝7時のフェリーに乗るべく南埠頭へ。
ドライヤーを探していたあけみちゃんは、高速船トッピーで屋久島入りするというのでここでお別れ。
全くノープランで、とりあえず屋久島にいくことだけは決まっていたゆっこちゃんは私たちと一緒に屋久島丸で行くことになった。
屋久島丸は、2008/12/22に就航したばかりのブランニュー航路で、今なら片道につき1000円の割引があってかなりお得。(屋久島まで往復6400円!!!!2009年5月くらいまでらしい。急げ、屋久島に行きたいそこのあなた!!!)
スタンダードの客室は、シートもなく、だだっ広いスペースといった感じ。
親切にも毛布がおいてあって、どこでも寝ることができるあたしはほぼ4時間ぐうすか寝ていた。
屋久島について、まずは宿へ。
ゆっこちゃんも宿は取ってあったみたいやから、途中でお別れ。
宿が見つからず、その辺を歩いていた地元の人に聞くと前まで連れて行ってくれたはいいけど、ここ、つり具屋さんなんですけど……。
3階建ての建物で、顔をぐいっとあげると、確かに民宿の看板も出ていた。
とりあえず、中に入ってみても、店員がおらへん。
すいませ~~~ん!!!!と連呼しまくったけど、現れる気配なし。
他のお客さんもちょっと困っていたけど、しばらくしてふらりと戻ってきた。
チェックインは完了したけど,レシートがやっぱり「釣具屋」。ははは。
1階が釣具、2階は民家、3階が民宿のスペースやった。
各部屋には、魚の名前。
さすが、ベースは釣具屋やわ、と妙に関心。
というか、この民宿の向かいの宿の名前を見てびっくり。
朝別れたあけみちゃんが泊まるとかいうてたところやん!!!
とりあえず、散歩がてら昼ごはんも食べたいからうろつくことにした。
あけみちゃんに「宿が向かいどうしやで」とメールして、せっかくやから昼ごはんも一緒に食べることにした。
3人でうろうろしていると、一人でうろうろしているゆっこちゃんに再会。
おおおおお!!!!!!びびる。
まぁ、こうしてまた4人になったのも何かの縁やな、ということで昼ごはんを食べに行った。
昼ごはんを食べて、だらだらしゃべって、その辺をうろついた。
土産屋のめっちゃおもろいおばちゃんに出会って、おばちゃんが4人に屋久杉のキーホルダーみたいなやつをくれた。
このおばちゃんがめちゃくちゃ面白いおばちゃんで、一昔前の屋久島の状況についていろいろと教えてくれた。
今ほどいろいろと栄えていなかった時代には、ワンダーフォーゲル部の人たちが山を降りてくると、このおばちゃんの店にやってきたそう。
インターネットもない時代やから、ノートを置いておくといろんなことを情報交換として書き込んでいたらしい。
「これくらいは、あったかなぁ」と手でノートの厚さを再現してくれると、5~6センチはあったように見えた。
4人とも、「へぇ~~、すごいなぁ~~」と感心していると、おばちゃんが最後に一言。
「ま、全部破棄しましたけどね!!!!!!」
吉本新喜劇やったら全員ここでこけてるところやで、ほんま。
「おばちゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と全員でつっこんだけど、あまりにさらっと「破棄」とか言い放つもんやから、おなかがよじれるほどわろうてもうた。
おばちゃんの余韻に浸りながら、たまに思い出し笑いしつつカフェでお茶。
散々しゃべった挙句、晩御飯は現地集合ということに。
あたしはカフェに残って日記をキャッチアップ。
ほんなら、店のママが昆布茶を入れてくれたり、なんか至れり尽くせりな感じ。
次の日は、白谷雲水峡にいった。
もののけ姫のモデルになったという森があるところで、初心者でも簡単に散策できるとのこと。
何も決めていなかったゆっこちゃんと、ゆっこちゃんの宿に泊まっていたホッシーという青年も一緒に上ることになった。
あけみちゃんは、その日は別。
雨やったけど、これをあいにくと呼んでしまうにはあまりにも惜しすぎる景色。
雨やら石やら(これも不思議なんやけど、かなりの高いところにきているはずやのに、ありえへんくらいでかい石がごろごろ。これは、屋久島自体が隆起してできた島やから、もともとは低いところにあった地層がこうして高いところに押し上げられているから、このようになってるとのこと。)で、足元が悪い。
山を歩き慣れていないから、ついつい足元ばかりに気をとられて、黙々と歩く人になってしまっていたけど、ふと足を止めて顔を上げると、一面緑の景色と、しっとりとした空気に包まれる。
あほやから、すごいなぁ~、すごいなぁ~、としか言われへんのやけど、ほんまにきれいやった。
でも、なんか不思議とそこにいるのが当たり前みたいな感じやった。
すれ違う人たちとあいさつを交わしながら歩くと、元気がでてきた。
山歩き装備の人から、軽装の人までいろんな人がいたけど、一番びっくりしたのはおそらくバスかタクシーの運転手か何かやと思うねんけど、カッターシャツにサラリーマンの履くような革靴、おまけに傘で片手ふさがっている状態で、ひょいひょいと石を伝って降りてきたあの人!!!!!!
カッパまで着てリュックしょって歩いている自分がなんか、恥ずかしいわ!!!!笑……いや、完全にあのおっちゃんがすごいんやでな……。
下山して、ゆっこちゃんとホッシーと別れて我々は、宿に移動のため南下。
尾之間温泉というしっぶい温泉があって、そこに行った。
地元の人もようけきてはる温泉で、めちゃめちゃ気持ちいい。
その後、まさかの食いっぱぐれで、まさかのコンビニでディナー。
ありがたいことに、外にイスとテーブルが用意されてあって、寒空の下広島風ラーメンをすすった。うまいもんは、うまいから、よし。
宿で、オーストラリア人2人と一緒に旅をしている女の子と出会った。
オーストラリア英語、懐かしい~。おる時はあんまりなんもおもわへんかったけど、やっぱり、なんか特徴あるなぁ、オジーイングリッシュ。
ここのバックパッカーが曲者、というか、登山者向けやから設備が超最低限しかなかった。
寝袋を持っていって置けばよかったんやけど、ないから備え付けの銀のシートと薄っぺら委毛布のみで寝る羽目に。
さすがに、寒さで夜中に目が覚めたわ~。
3日間山で過ごしたというまきちゃんに言わせてみれば、「風がないだけ良く眠れる」だそうで。
いやぁ~、前日民宿の布団でぬくぬくした身には結構こたえるのになぁ。
やっぱり、人間、甘やかされたらあかんのやなぁ。
でも、ほんま、寒かったわ~~~。
ドライヤーを探していたあけみちゃんは、高速船トッピーで屋久島入りするというのでここでお別れ。
全くノープランで、とりあえず屋久島にいくことだけは決まっていたゆっこちゃんは私たちと一緒に屋久島丸で行くことになった。
屋久島丸は、2008/12/22に就航したばかりのブランニュー航路で、今なら片道につき1000円の割引があってかなりお得。(屋久島まで往復6400円!!!!2009年5月くらいまでらしい。急げ、屋久島に行きたいそこのあなた!!!)
スタンダードの客室は、シートもなく、だだっ広いスペースといった感じ。
親切にも毛布がおいてあって、どこでも寝ることができるあたしはほぼ4時間ぐうすか寝ていた。
屋久島について、まずは宿へ。
ゆっこちゃんも宿は取ってあったみたいやから、途中でお別れ。
宿が見つからず、その辺を歩いていた地元の人に聞くと前まで連れて行ってくれたはいいけど、ここ、つり具屋さんなんですけど……。
3階建ての建物で、顔をぐいっとあげると、確かに民宿の看板も出ていた。
とりあえず、中に入ってみても、店員がおらへん。
すいませ~~~ん!!!!と連呼しまくったけど、現れる気配なし。
他のお客さんもちょっと困っていたけど、しばらくしてふらりと戻ってきた。
チェックインは完了したけど,レシートがやっぱり「釣具屋」。ははは。
1階が釣具、2階は民家、3階が民宿のスペースやった。
各部屋には、魚の名前。
さすが、ベースは釣具屋やわ、と妙に関心。
というか、この民宿の向かいの宿の名前を見てびっくり。
朝別れたあけみちゃんが泊まるとかいうてたところやん!!!
とりあえず、散歩がてら昼ごはんも食べたいからうろつくことにした。
あけみちゃんに「宿が向かいどうしやで」とメールして、せっかくやから昼ごはんも一緒に食べることにした。
3人でうろうろしていると、一人でうろうろしているゆっこちゃんに再会。
おおおおお!!!!!!びびる。
まぁ、こうしてまた4人になったのも何かの縁やな、ということで昼ごはんを食べに行った。
昼ごはんを食べて、だらだらしゃべって、その辺をうろついた。
土産屋のめっちゃおもろいおばちゃんに出会って、おばちゃんが4人に屋久杉のキーホルダーみたいなやつをくれた。
このおばちゃんがめちゃくちゃ面白いおばちゃんで、一昔前の屋久島の状況についていろいろと教えてくれた。
今ほどいろいろと栄えていなかった時代には、ワンダーフォーゲル部の人たちが山を降りてくると、このおばちゃんの店にやってきたそう。
インターネットもない時代やから、ノートを置いておくといろんなことを情報交換として書き込んでいたらしい。
「これくらいは、あったかなぁ」と手でノートの厚さを再現してくれると、5~6センチはあったように見えた。
4人とも、「へぇ~~、すごいなぁ~~」と感心していると、おばちゃんが最後に一言。
「ま、全部破棄しましたけどね!!!!!!」
吉本新喜劇やったら全員ここでこけてるところやで、ほんま。
「おばちゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と全員でつっこんだけど、あまりにさらっと「破棄」とか言い放つもんやから、おなかがよじれるほどわろうてもうた。
おばちゃんの余韻に浸りながら、たまに思い出し笑いしつつカフェでお茶。
散々しゃべった挙句、晩御飯は現地集合ということに。
あたしはカフェに残って日記をキャッチアップ。
ほんなら、店のママが昆布茶を入れてくれたり、なんか至れり尽くせりな感じ。
次の日は、白谷雲水峡にいった。
もののけ姫のモデルになったという森があるところで、初心者でも簡単に散策できるとのこと。
何も決めていなかったゆっこちゃんと、ゆっこちゃんの宿に泊まっていたホッシーという青年も一緒に上ることになった。
あけみちゃんは、その日は別。
雨やったけど、これをあいにくと呼んでしまうにはあまりにも惜しすぎる景色。
雨やら石やら(これも不思議なんやけど、かなりの高いところにきているはずやのに、ありえへんくらいでかい石がごろごろ。これは、屋久島自体が隆起してできた島やから、もともとは低いところにあった地層がこうして高いところに押し上げられているから、このようになってるとのこと。)で、足元が悪い。
山を歩き慣れていないから、ついつい足元ばかりに気をとられて、黙々と歩く人になってしまっていたけど、ふと足を止めて顔を上げると、一面緑の景色と、しっとりとした空気に包まれる。
あほやから、すごいなぁ~、すごいなぁ~、としか言われへんのやけど、ほんまにきれいやった。
でも、なんか不思議とそこにいるのが当たり前みたいな感じやった。
すれ違う人たちとあいさつを交わしながら歩くと、元気がでてきた。
山歩き装備の人から、軽装の人までいろんな人がいたけど、一番びっくりしたのはおそらくバスかタクシーの運転手か何かやと思うねんけど、カッターシャツにサラリーマンの履くような革靴、おまけに傘で片手ふさがっている状態で、ひょいひょいと石を伝って降りてきたあの人!!!!!!
カッパまで着てリュックしょって歩いている自分がなんか、恥ずかしいわ!!!!笑……いや、完全にあのおっちゃんがすごいんやでな……。
下山して、ゆっこちゃんとホッシーと別れて我々は、宿に移動のため南下。
尾之間温泉というしっぶい温泉があって、そこに行った。
地元の人もようけきてはる温泉で、めちゃめちゃ気持ちいい。
その後、まさかの食いっぱぐれで、まさかのコンビニでディナー。
ありがたいことに、外にイスとテーブルが用意されてあって、寒空の下広島風ラーメンをすすった。うまいもんは、うまいから、よし。
宿で、オーストラリア人2人と一緒に旅をしている女の子と出会った。
オーストラリア英語、懐かしい~。おる時はあんまりなんもおもわへんかったけど、やっぱり、なんか特徴あるなぁ、オジーイングリッシュ。
ここのバックパッカーが曲者、というか、登山者向けやから設備が超最低限しかなかった。
寝袋を持っていって置けばよかったんやけど、ないから備え付けの銀のシートと薄っぺら委毛布のみで寝る羽目に。
さすがに、寒さで夜中に目が覚めたわ~。
3日間山で過ごしたというまきちゃんに言わせてみれば、「風がないだけ良く眠れる」だそうで。
いやぁ~、前日民宿の布団でぬくぬくした身には結構こたえるのになぁ。
やっぱり、人間、甘やかされたらあかんのやなぁ。
でも、ほんま、寒かったわ~~~。
2009-01-07
年末年始旅 鹿児島
新年を迎えて、早1週間が……。
早いな。
12月25日から1月3日間まで、年末年始は旅にでておりました。
浮かれた日記で書いていたとおり、行き先は屋久島。
鹿児島空港に降り立つことになっていたから、どうせなら初めての鹿児島もうろうろしたいなぁ、とちょっと欲張って鹿児島もふらふらとしてきた。
最初の何日かは、鹿児島の巻。
一応、行き帰りの飛行機は変更不可やから、自分らの動きというか最低宿泊地はちゃんと決めていた。
でもそれも、初日から変更変更の毎日。
伊丹空港で、登場数十分前に、その日の行き先を変えることにして、だめもとでホテルに電話。
頼んでみれば何とかなるもんやなぁ。
まず最初に向かったのは、霧島。
街中に硫黄の匂いが立ち込めていて、ニュージーランドのロトルアが思い出された。
いたるところから白い煙がもくもくとふきだして、空に上っていく様子を見て私らのテンションも急上昇なのでした。
じゃらんでみつけたこのたび唯一のホテル泊。
というても、3000円くらいのもんやけど。
でも、あたしらみたいなもんがこんな贅沢させてもうてええんすか!!!というくらいのええところやった。
特に、最上階にあった展望温泉からは遠くの方に桜島が見えて、あたしみたいなもんがこんなええところに……!!!となぜか申し訳ない気分になったのでした。
そんなことを言うてる割には、何回も温泉に入りにいって、ちゃっかり無料のコーヒー券まで使ってきた。
温泉も良かったけど、その蒸気でふかしたおいもさんを食べてんけど、それがめちゃくちゃおいしかった。
1泊しかしてへんのに、2回も食べた。
1回目のは、100円のくせにありえんでかさのいも。
2回目のは、100円のくせにありえんあまさのいも。
いやぁ~、霧島いいなぁ~~。
翌日、霧島神宮へ向かうことにしていたら、バスにまんまと乗り遅れて次のバスが来るまで足湯を楽しむことにした。
すると、漫才コンビのような博多弁のおっちゃん二人組みが神宮まで乗せていってくれるという。
別にヒッチハイクを試みたわけでもないのに、ラッキー。
このおっちゃんらがマイペースで、出発まで足湯をしたり昼ごはんを食べたり、ガソリンを給油するというて数キロ神宮と逆の方向へ車を走らせてみたり、いちいち面白かった。
関西人が九州人の物まねをするときにいいそうな「よか!!!!」という言葉を聞けて妙に感動。
おお~~~、ほんまに「よか」って言うんや~~~!!!!
道の駅を見つけては、いきなり左折してはいっていってしまうし、おかげで絶景にありつくことができた。
路線バスでいってたら寄られへんところやもんなぁ。
おっちゃんたち、ありがとう!!!!!
その後、鹿児島市内へ。
鹿児島ではリトルアジアという1泊1500円というありがたや~、なバッパーにお世話になった。
そこを拠点に、桜島に行ったり、指宿・知覧・枕崎へも足を伸ばした。
桜島は、結局レンタカーをして1周したけど、ビジターセンターで歴史を知れたのが面白かった。
ここでも足湯があって、しばらく本を読んだりしてのんびり過ごした。
そこが桜島であることを忘れて、ふと顔を上げると、溶岩でえぐられた山肌がズドーンと目に飛び込んでくる。
なんかしらんけど、原始時代に来たような気分になって、そのたびににやける。
指宿は、有名な砂風呂を楽しみ、枕崎ではかつおが有名やというからそれをいただいてきた。
そして、知覧。
ひときわ印象に残る街だった。
知覧は、第二次世界大戦中特攻基地があった場所として知られているけど、私は恥ずかしながらそれについて詳しいことを知らんかった。
平和会館を訪れたんやけど、ショックやった。
特攻隊として命を落としていった人たちは、20代の若者がほとんどだったそうだ。
中には、10代の少年もいたというから心が痛む。
展示されてあるのは、彼らの遺品や遺書など。
両親や肉親に宛てた遺書や、別れの言葉は本当に読んでいて辛かった。
また、全ての特攻隊の人の顔写真があるんやけど、その片隅に、身内の所在地が不明なので心当たりの人は連絡をください、といった付箋が貼られていて、それにも胸が痛んだ。
広島では、戦争そのものの恐ろしさを感じさせられるけど、ここ知覧では、戦争の非常さとそれに翻弄された人々の悲しさを感じさせられた。
どうして、彼らはいかなければならなかったんだろうか??
三角兵舎と呼ばれる、特攻隊員たちが出撃まで寝泊りした建物が再現されて建てられてある。
平和会館をぐるりと見たあとにその三角兵舎に入ると、ほんま、なんとも言えない気持ちになった。
特に何もなく、簡素な寝具が等間隔に並べられてある程度で、その中で最後の手紙をしたためたのかと思うと、言葉が出ない。
知覧、本当に訪れてよかったと思う。
鹿児島最後の夜、次の日の屋久島へのフェリーの出航が早いので支度をしていた。
すると、一人で旅をしている風の女の人に声をかけられた。
「ここって、ドライヤーの貸し出しとかあるんですかねぇ??」
それをきっかけに話し始めたら、その人も次の日に屋久島入りするということが分かった。
朝が早すぎてやむを得ずタクシーを使うことにしていたから、一緒に乗り合わせて割り勘しませんかと申し出てみると快諾。
その話を聞きつけた今まさにやってきたばかりの人も、私もいいですか?、と聞いてきたので、多い方がええやん~、というわけでその2人とまさみと私の4人で乗り合わせていくことが決定した。
後で振り返れば、この一言がなければ屋久島の旅もずいぶんと違ったものになっただろうなぁ、と思う。
早いな。
12月25日から1月3日間まで、年末年始は旅にでておりました。
浮かれた日記で書いていたとおり、行き先は屋久島。
鹿児島空港に降り立つことになっていたから、どうせなら初めての鹿児島もうろうろしたいなぁ、とちょっと欲張って鹿児島もふらふらとしてきた。
最初の何日かは、鹿児島の巻。
一応、行き帰りの飛行機は変更不可やから、自分らの動きというか最低宿泊地はちゃんと決めていた。
でもそれも、初日から変更変更の毎日。
伊丹空港で、登場数十分前に、その日の行き先を変えることにして、だめもとでホテルに電話。
頼んでみれば何とかなるもんやなぁ。
まず最初に向かったのは、霧島。
街中に硫黄の匂いが立ち込めていて、ニュージーランドのロトルアが思い出された。
いたるところから白い煙がもくもくとふきだして、空に上っていく様子を見て私らのテンションも急上昇なのでした。
じゃらんでみつけたこのたび唯一のホテル泊。
というても、3000円くらいのもんやけど。
でも、あたしらみたいなもんがこんな贅沢させてもうてええんすか!!!というくらいのええところやった。
特に、最上階にあった展望温泉からは遠くの方に桜島が見えて、あたしみたいなもんがこんなええところに……!!!となぜか申し訳ない気分になったのでした。
そんなことを言うてる割には、何回も温泉に入りにいって、ちゃっかり無料のコーヒー券まで使ってきた。
温泉も良かったけど、その蒸気でふかしたおいもさんを食べてんけど、それがめちゃくちゃおいしかった。
1泊しかしてへんのに、2回も食べた。
1回目のは、100円のくせにありえんでかさのいも。
2回目のは、100円のくせにありえんあまさのいも。
いやぁ~、霧島いいなぁ~~。
翌日、霧島神宮へ向かうことにしていたら、バスにまんまと乗り遅れて次のバスが来るまで足湯を楽しむことにした。
すると、漫才コンビのような博多弁のおっちゃん二人組みが神宮まで乗せていってくれるという。
別にヒッチハイクを試みたわけでもないのに、ラッキー。
このおっちゃんらがマイペースで、出発まで足湯をしたり昼ごはんを食べたり、ガソリンを給油するというて数キロ神宮と逆の方向へ車を走らせてみたり、いちいち面白かった。
関西人が九州人の物まねをするときにいいそうな「よか!!!!」という言葉を聞けて妙に感動。
おお~~~、ほんまに「よか」って言うんや~~~!!!!
道の駅を見つけては、いきなり左折してはいっていってしまうし、おかげで絶景にありつくことができた。
路線バスでいってたら寄られへんところやもんなぁ。
おっちゃんたち、ありがとう!!!!!
その後、鹿児島市内へ。
鹿児島ではリトルアジアという1泊1500円というありがたや~、なバッパーにお世話になった。
そこを拠点に、桜島に行ったり、指宿・知覧・枕崎へも足を伸ばした。
桜島は、結局レンタカーをして1周したけど、ビジターセンターで歴史を知れたのが面白かった。
ここでも足湯があって、しばらく本を読んだりしてのんびり過ごした。
そこが桜島であることを忘れて、ふと顔を上げると、溶岩でえぐられた山肌がズドーンと目に飛び込んでくる。
なんかしらんけど、原始時代に来たような気分になって、そのたびににやける。
指宿は、有名な砂風呂を楽しみ、枕崎ではかつおが有名やというからそれをいただいてきた。
そして、知覧。
ひときわ印象に残る街だった。
知覧は、第二次世界大戦中特攻基地があった場所として知られているけど、私は恥ずかしながらそれについて詳しいことを知らんかった。
平和会館を訪れたんやけど、ショックやった。
特攻隊として命を落としていった人たちは、20代の若者がほとんどだったそうだ。
中には、10代の少年もいたというから心が痛む。
展示されてあるのは、彼らの遺品や遺書など。
両親や肉親に宛てた遺書や、別れの言葉は本当に読んでいて辛かった。
また、全ての特攻隊の人の顔写真があるんやけど、その片隅に、身内の所在地が不明なので心当たりの人は連絡をください、といった付箋が貼られていて、それにも胸が痛んだ。
広島では、戦争そのものの恐ろしさを感じさせられるけど、ここ知覧では、戦争の非常さとそれに翻弄された人々の悲しさを感じさせられた。
どうして、彼らはいかなければならなかったんだろうか??
三角兵舎と呼ばれる、特攻隊員たちが出撃まで寝泊りした建物が再現されて建てられてある。
平和会館をぐるりと見たあとにその三角兵舎に入ると、ほんま、なんとも言えない気持ちになった。
特に何もなく、簡素な寝具が等間隔に並べられてある程度で、その中で最後の手紙をしたためたのかと思うと、言葉が出ない。
知覧、本当に訪れてよかったと思う。
鹿児島最後の夜、次の日の屋久島へのフェリーの出航が早いので支度をしていた。
すると、一人で旅をしている風の女の人に声をかけられた。
「ここって、ドライヤーの貸し出しとかあるんですかねぇ??」
それをきっかけに話し始めたら、その人も次の日に屋久島入りするということが分かった。
朝が早すぎてやむを得ずタクシーを使うことにしていたから、一緒に乗り合わせて割り勘しませんかと申し出てみると快諾。
その話を聞きつけた今まさにやってきたばかりの人も、私もいいですか?、と聞いてきたので、多い方がええやん~、というわけでその2人とまさみと私の4人で乗り合わせていくことが決定した。
後で振り返れば、この一言がなければ屋久島の旅もずいぶんと違ったものになっただろうなぁ、と思う。
2008-12-25
式
さて、さて、まったりウィークエンドの後は、早速ばたばた。
月曜日、仕事終わりに夢前のパラダイスことほたるの里へ。
遠くの方で視界に入るや飛び込んできた「→」印のライトアップに爆笑。
さすがや。
近づいたら、あのかかしたちもちゃんとセーターを着せてもらって、冬バージョンやった。
いやぁ、さすが。
到着すると、さあ、始まるぜ、宴会!!!というところやった。
happy faces、しし鍋、サンタクロースbyピンポン、イケダファミリー、モリハラ組によるクリスマスコンサート、プレゼント交換、いやぁ~、ダイジェストにしただけでもおもろい思い出がよみがえってにやけるわ。
第1ラウンドが終わったあとは、2回でだらだらと飲み。
子どもらに「不審者!!!!」と指差されていた男保育士・フルカワとなぜか片言でしゃべる。
パワーオブアルコール。
そのままのノリで2時間も片言の日本語でしゃべり続けた。ははは。なんじゃこりゃ。
教育に携わっている人や、子どもを持つお母さんたちもいたから、学校の話になったけど、なかなか暗い話ばっかりになる。むむ。
結局5時半くらいに停電したから就寝。
翌日は、午後から友だちとお茶。
数少ない近所の友だち。
その子は中学校で先生をしてるんやけど、自分のこれからについて語った。
昔に想像した今くらいの年齢ってもっと大人かと思っていたけど、実際に自分がその年齢に追いつくと、驚くくらいに幼くてまだまだやりたいことがたくさんあって全然落ち着いてないし子どもっぽいよな、と思う。
あたしはどちらかというと、というか、完全にやりたいことをやりながら今までやってきたし、回りにオモロイオーバー30の友だちがおるから、その人らを見てたら30歳も今とあんまり変わらんかも、と楽観的に思っていたけど、その子はやりたいことと重ねたキャリアの狭間で、すごく悩んでいるみたいやった。
いやーーー、生きるって、悩むってことですな。
今日で2学期が終わり。
つまり、小学校での臨時講師も今日で終わり。
子どもらには言うていなくて、終業式が終わったあとに5年生だけ体育館に残ってもらってあいさつをすることになった。
しんと寒い体育館の中、またざわついてだらだらしていた5年生はいつものように怒られて、そんな中あいさつ。
109人の顔がいつもよりもよう見える。
視線が線になって見えるくらいに突き刺さってくる。
それを前にすると、なんかじいんとこみ上げるものがあった。
ああ~、あたしこの子ら好きやわ~、と思った。
真剣な子どもの目って素敵や。どきっとするわ。
無限の可能性と呼ぶ以外になんて呼ぼう、て感じやわ。
しかしまぁ、2学期しかおらへんかったけど、いろいろあったなぁ~。
運動会、自然学校、オープンスクール、フェスティバル、ふれあい参観……。ひぃいっ。
終わりよければ全てよし、というのもなんだかなぁ、かも知れへんけど、それでも言おう。
あたしに向かって「死ね」だの「うざい」だの言うてきたあの子らも、悪態をつきながらお別れを言いにきてくれた。
ああ~、時間ないよなぁ~。
もっとゆっくりと、彼らと別れを言う時間があればなぁ。
でも、また会いにいけるしな。
あのへんの電気屋に行けば、いやでも会うかもやし。ははは。
明日から、旅。
準備を始めたのが遅すぎて、そしてだらだらと準備していて、だらだらと日記を書いていたら、こんな時間。
やっべーーーー。
早いところ、情報をプリントアウトして、寝な。
月曜日、仕事終わりに夢前のパラダイスことほたるの里へ。
遠くの方で視界に入るや飛び込んできた「→」印のライトアップに爆笑。
さすがや。
近づいたら、あのかかしたちもちゃんとセーターを着せてもらって、冬バージョンやった。
いやぁ、さすが。
到着すると、さあ、始まるぜ、宴会!!!というところやった。
happy faces、しし鍋、サンタクロースbyピンポン、イケダファミリー、モリハラ組によるクリスマスコンサート、プレゼント交換、いやぁ~、ダイジェストにしただけでもおもろい思い出がよみがえってにやけるわ。
第1ラウンドが終わったあとは、2回でだらだらと飲み。
子どもらに「不審者!!!!」と指差されていた男保育士・フルカワとなぜか片言でしゃべる。
パワーオブアルコール。
そのままのノリで2時間も片言の日本語でしゃべり続けた。ははは。なんじゃこりゃ。
教育に携わっている人や、子どもを持つお母さんたちもいたから、学校の話になったけど、なかなか暗い話ばっかりになる。むむ。
結局5時半くらいに停電したから就寝。
翌日は、午後から友だちとお茶。
数少ない近所の友だち。
その子は中学校で先生をしてるんやけど、自分のこれからについて語った。
昔に想像した今くらいの年齢ってもっと大人かと思っていたけど、実際に自分がその年齢に追いつくと、驚くくらいに幼くてまだまだやりたいことがたくさんあって全然落ち着いてないし子どもっぽいよな、と思う。
あたしはどちらかというと、というか、完全にやりたいことをやりながら今までやってきたし、回りにオモロイオーバー30の友だちがおるから、その人らを見てたら30歳も今とあんまり変わらんかも、と楽観的に思っていたけど、その子はやりたいことと重ねたキャリアの狭間で、すごく悩んでいるみたいやった。
いやーーー、生きるって、悩むってことですな。
今日で2学期が終わり。
つまり、小学校での臨時講師も今日で終わり。
子どもらには言うていなくて、終業式が終わったあとに5年生だけ体育館に残ってもらってあいさつをすることになった。
しんと寒い体育館の中、またざわついてだらだらしていた5年生はいつものように怒られて、そんな中あいさつ。
109人の顔がいつもよりもよう見える。
視線が線になって見えるくらいに突き刺さってくる。
それを前にすると、なんかじいんとこみ上げるものがあった。
ああ~、あたしこの子ら好きやわ~、と思った。
真剣な子どもの目って素敵や。どきっとするわ。
無限の可能性と呼ぶ以外になんて呼ぼう、て感じやわ。
しかしまぁ、2学期しかおらへんかったけど、いろいろあったなぁ~。
運動会、自然学校、オープンスクール、フェスティバル、ふれあい参観……。ひぃいっ。
終わりよければ全てよし、というのもなんだかなぁ、かも知れへんけど、それでも言おう。
あたしに向かって「死ね」だの「うざい」だの言うてきたあの子らも、悪態をつきながらお別れを言いにきてくれた。
ああ~、時間ないよなぁ~。
もっとゆっくりと、彼らと別れを言う時間があればなぁ。
でも、また会いにいけるしな。
あのへんの電気屋に行けば、いやでも会うかもやし。ははは。
明日から、旅。
準備を始めたのが遅すぎて、そしてだらだらと準備していて、だらだらと日記を書いていたら、こんな時間。
やっべーーーー。
早いところ、情報をプリントアウトして、寝な。
2008-12-21
結局
何をしたかって聞かれると、なんもしてないよう~な、そんな週末。
久々に、人と会わず、一人で気の向くままぶらりと過ごした。
延滞していた図書館の本をやっとこさ返しにいけたり、年賀状を書くことができたり、おまけには髪の毛を切りにいけたりなんかして、家ではお笑い番組ばっかり見てへらへらして、M1は関連特番も含めて全部がっつりチェックという、いや~、いいペースで過ごしたなぁ、あたし。
久々にCD買うたり、借りたりもしたし。
好きな曲を繰り返し聴くのもいいんやけど、聴いたことのない新しい音楽を耳にするのもやっぱりいいなぁ。
特別なことはなんもしてへんけど、なんかええ感じの週末。
この週末があければ怒涛WEEKの開幕。
パラダイスで忘年会、学校がラスト、子どもらとお別れ、年末旅に出発。
ばたばたとしているうちに年をまたいでそうやな。
2008年もあと10日。
早いなぁ。
久々に、人と会わず、一人で気の向くままぶらりと過ごした。
延滞していた図書館の本をやっとこさ返しにいけたり、年賀状を書くことができたり、おまけには髪の毛を切りにいけたりなんかして、家ではお笑い番組ばっかり見てへらへらして、M1は関連特番も含めて全部がっつりチェックという、いや~、いいペースで過ごしたなぁ、あたし。
久々にCD買うたり、借りたりもしたし。
好きな曲を繰り返し聴くのもいいんやけど、聴いたことのない新しい音楽を耳にするのもやっぱりいいなぁ。
特別なことはなんもしてへんけど、なんかええ感じの週末。
この週末があければ怒涛WEEKの開幕。
パラダイスで忘年会、学校がラスト、子どもらとお別れ、年末旅に出発。
ばたばたとしているうちに年をまたいでそうやな。
2008年もあと10日。
早いなぁ。
2008-12-17
ナップサック
は、中島らもの本のタイトルやけど、今のあたしは「喉の奥が痒いんだ」。
今年の風邪はほんまにしつこい。
このかゆみが引いたら、やっとこさ、治るんかな。
黒飴もこうてもらったことやし(最近選ぶのど飴が、めっきりおばあちゃんが選びそうなのになってるわ。はは。でも、効くよなぁ~。おばあちゃん的のど飴。)、全力で風邪を治すのだ。
昨日、モンスターエンジンが姫路のショッピングセンターに来るって言うから、笑い好きのとよこ嬢と見に行ってきた。
その前に、itsumoに行って、うまい棒を大量にゲットした。
ありがとう、いとっく。3本っていうてたのに、あんなに大量にくれるとは。
毒でも入ってないやろうなあ?!ははは笑
モンスターエンジン、面白かったわ~。
漫才だけでも十分堪能したのに、めっちゃサービスが良くて神々のコントもやってくれた。
あの格好見ただけでも笑えるわ。
それにしても、モンスターエンジン、漫才おもろなったわ~。
その後、久しぶりにトイザラスに行った。
ほんま、あそこはオモロイわ~~。
あのハリーポッターのリアルなフィギュアのターゲットはいったい誰やねん?!
1000円に値下がりしてたけど、ただでも結構いらんわ~。笑
今日は、屋久島旅作戦会議を開催した。
骨組みは、大分できてきた。
よっしゃーーー。
おおっ、気づけばあと10日。
カウントダウンが始まるわけですな。ひひひ。
今年の風邪はほんまにしつこい。
このかゆみが引いたら、やっとこさ、治るんかな。
黒飴もこうてもらったことやし(最近選ぶのど飴が、めっきりおばあちゃんが選びそうなのになってるわ。はは。でも、効くよなぁ~。おばあちゃん的のど飴。)、全力で風邪を治すのだ。
昨日、モンスターエンジンが姫路のショッピングセンターに来るって言うから、笑い好きのとよこ嬢と見に行ってきた。
その前に、itsumoに行って、うまい棒を大量にゲットした。
ありがとう、いとっく。3本っていうてたのに、あんなに大量にくれるとは。
毒でも入ってないやろうなあ?!ははは笑
モンスターエンジン、面白かったわ~。
漫才だけでも十分堪能したのに、めっちゃサービスが良くて神々のコントもやってくれた。
あの格好見ただけでも笑えるわ。
それにしても、モンスターエンジン、漫才おもろなったわ~。
その後、久しぶりにトイザラスに行った。
ほんま、あそこはオモロイわ~~。
あのハリーポッターのリアルなフィギュアのターゲットはいったい誰やねん?!
1000円に値下がりしてたけど、ただでも結構いらんわ~。笑
今日は、屋久島旅作戦会議を開催した。
骨組みは、大分できてきた。
よっしゃーーー。
おおっ、気づけばあと10日。
カウントダウンが始まるわけですな。ひひひ。
2008-12-14
頭の中が痒いんだ
は、中島らもの本のタイトルやけど、今のあたしは「喉の奥が痒いんだ」。
今年の風邪はほんまにしつこい。
このかゆみが引いたら、やっとこさ、治るんかな。
黒飴もこうてもらったことやし(最近選ぶのど飴が、めっきりおばあちゃんが選びそうなのになってるわ。はは。でも、効くよなぁ~。おばあちゃん的のど飴。)、全力で風邪を治すのだ。
昨日、モンスターエンジンが姫路のショッピングセンターに来るって言うから、笑い好きのとよこ嬢と見に行ってきた。
その前に、itsumoに行って、うまい棒を大量にゲットした。
ありがとう、いとっく。3本っていうてたのに、あんなに大量にくれるとは。
毒でも入ってないやろうなあ?!ははは笑
モンスターエンジン、面白かったわ~。
漫才だけでも十分堪能したのに、めっちゃサービスが良くて神々のコントもやってくれた。
あの格好見ただけでも笑えるわ。
それにしても、モンスターエンジン、漫才おもろなったわ~。
その後、久しぶりにトイザラスに行った。
ほんま、あそこはオモロイわ~~。
あのハリーポッターのリアルなフィギュアのターゲットはいったい誰やねん?!
1000円に値下がりしてたけど、ただでも結構いらんわ~。笑
今日は、屋久島旅作戦会議を開催した。
骨組みは、大分できてきた。
よっしゃーーー。
おおっ、気づけばあと10日。
カウントダウンが始まるわけですな。ひひひ。
今年の風邪はほんまにしつこい。
このかゆみが引いたら、やっとこさ、治るんかな。
黒飴もこうてもらったことやし(最近選ぶのど飴が、めっきりおばあちゃんが選びそうなのになってるわ。はは。でも、効くよなぁ~。おばあちゃん的のど飴。)、全力で風邪を治すのだ。
昨日、モンスターエンジンが姫路のショッピングセンターに来るって言うから、笑い好きのとよこ嬢と見に行ってきた。
その前に、itsumoに行って、うまい棒を大量にゲットした。
ありがとう、いとっく。3本っていうてたのに、あんなに大量にくれるとは。
毒でも入ってないやろうなあ?!ははは笑
モンスターエンジン、面白かったわ~。
漫才だけでも十分堪能したのに、めっちゃサービスが良くて神々のコントもやってくれた。
あの格好見ただけでも笑えるわ。
それにしても、モンスターエンジン、漫才おもろなったわ~。
その後、久しぶりにトイザラスに行った。
ほんま、あそこはオモロイわ~~。
あのハリーポッターのリアルなフィギュアのターゲットはいったい誰やねん?!
1000円に値下がりしてたけど、ただでも結構いらんわ~。笑
今日は、屋久島旅作戦会議を開催した。
骨組みは、大分できてきた。
よっしゃーーー。
おおっ、気づけばあと10日。
カウントダウンが始まるわけですな。ひひひ。
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