2005-08-02

思い出した話。

昨日の冷房の話。いつも右斜め上にあるエアコンのことばかり気にかけていたら、実は背中の方にもあって、こいつからの風の方に思いっきりダメージを受けていたことが判明。だので、温度と風向きを微妙に変えてやった。本当に、クーラー病なんていう現代機器に翻弄されたくだらん症状には苦しめられたくないものです。

さて、今日はちょっと思い出したんやけど、という話をば。昨日アジア雑貨の店に行ったときのこと。ものすごく懐かしいものを見つけた。それは、アジアの(具体的な国は忘れたけど)の楽器で、呼び名も知らない楽器だ。鉄でできていて、鉄の棒を二つに折り真ん中の方は丸い形になっている。先っぽ同士はくっつきあうでもなく箸のように少しとがっていて、その間からはどこから出ているか、ちょっと忘れたけど、もう一本鉄の棒が出ている。2本の箸になったようなところを唇にあてて、エクストラの一本をはじいて音を出すといういたってシンプルな楽器である。はじく強さや、口の中で作る形によって音が変わってくる。その音は、オーストラリア先住民のアボリジニたちの伝統的な楽器ディジリデュ(これは移住の民が名づけた名前で、アボリジニの言葉では各トライブごとにそれぞれの呼び名があるらしい)に似ている。この楽器を演奏するのを見たことがなければ、演奏の仕方はおろか、楽器であると気付かないかもしれない。

この不思議な楽器に出会ったのは、オーストラリアを旅している時のことだった。ブロークンヒルというNSW州の内陸にある街へ行った時、友だちのヒロミとユースホステルのテラスのようなところでしゃべっていた。旅先では色んな人に出会い、そして話をするのだけれど、この日も面白いおっちゃんと知り合いになった。おっちゃんは、オーストラリア人で世界の方々を旅しているような人だった。楽器とともに旅をしていて、そのときに見せてもらったのがこの面白い楽器だ。おっちゃんは、アジアのどこかの国へ行った時にいくつか買ったといって、大きいのやら小さいのやら、色んな形のものをだして弾いて見せてくれた。『これ一つあれば退屈しないだろう』といって、色々な音色を聞かせてくれた。確かに、シンプルで小さなものだけれど、弦楽器や管楽器のように決まった音階がないからその楽しみ方は十人十色だろう。みるみる色んな人が集まってきてその楽器の音色に酔いしれた。ためしに少し借りたけれど、意外に難しいものだった。その後おっちゃんは、アコーディオンみたいな箱オルガンやハーモニカを出してきて演奏して聞かせてくれた。

こういうおっちゃんは、いろんなことを経験して色んなものをみてきているから本当に面白い(調子に乗りすぎて演奏しすぎなのも含めて。笑)。その後、外組みから離れて中のキッチンでジャーナルを書いていると、音楽会を終えたおっちゃんが入ってきてテレビを見始めた。ちょうどしていた映画は、ひたすら世界の景色を映し出した、ナレーションも会話もない映画だった。旅先で感覚が鋭くなって妙にその映像に引き込まれる。感覚が鋭く、なんていうは私の思い過ごしかもしれない。なぜならその映画のもつエネルギー自体がものすごいからだ。インドや、アジアや、日本や、ヨーロッパや、寺院や、宗教的に聖なる場所が鮮やかな色彩で映し出される。おっちゃんは、ここへいったことがある、とか、この映画の伝えたいことはこういうことだ、というのを教えてくれた。その話を聞いて、なんてこの人は豊かな人なんだろうと思った。弱気を知り強さを知る、みたいな、そういう決して学問からでなく己の人生から学んだような、そういう寛容さと強さ。


というようなことを、あの楽器をみてふと思い出してしまった。一瞬買おうかと迷ったけど、また次回。そして買った暁には、暇さえあればミョーン、ミョーンと遊ぶつもりである。

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Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。