12号線の高架橋が崩落したというニュースを見て驚いた。と同時にこわ!と思った。
Vilmaの家から、日本食材が売ってあるレストランに行くときに使ったあのラインじゃないか。
一番新しく開通したラインで、他のラインの車両よりも新しくて、なんかアナウンスもあるし、テレビ画面がツイててそこに駅名が出たりコマーシャルが流れたりするから、おおお!メヒコもついにこんな感じになっていくん?!とびっくりしていたあのラインだ。
いやー、驚いた。
12号線の高架橋が崩落したというニュースを見て驚いた。と同時にこわ!と思った。
Vilmaの家から、日本食材が売ってあるレストランに行くときに使ったあのラインじゃないか。
一番新しく開通したラインで、他のラインの車両よりも新しくて、なんかアナウンスもあるし、テレビ画面がツイててそこに駅名が出たりコマーシャルが流れたりするから、おおお!メヒコもついにこんな感じになっていくん?!とびっくりしていたあのラインだ。
いやー、驚いた。
またも発出の緊急事態宣言。
長らく都会に行ってないから都会の温度差というものがわからへんのやけど、この間の緊急事態宣言もなんか中途半端な時に解除されていったという印象を受けたから、そんなに頻繁に出したり引っ込めたりしてたら効果なんてものはあるのか?と疑わしい気持ちになってしまう。
変異株も見つかって、広がってきているなんて言うことをニュースで聞くし、その割にはオリンピックはするみたいな方向やし、やってることがちぐはぐすぎてついていかれへん。
Hadnmaid's Taleを今熱心に見ているけど、こわい!なんと怖い!そしてなくもない話かもしれへんと思わされるところがまた怖い。私は見ながら進撃の巨人と通じるものがあると感じるんやけど、ちょうど今第1シーズンを終えたところ。第2シーズンの展開も気になるところ。
コロナの影響でいろいろなことがキャンセルになったりしていて、いよいよその影響が自分のところにも到達しそうで、ひっ、となる。今こそ、そういうのにはもうとらわれず、淡々と行くしかないよなと思っている。
ランダムなメモついでにもう一つ。今YouTubeでたまたま出てきた若かりしタモリさんがやっているJazzを紹介するという番組。これがまた小気味よくいいテンポでしゃべっている様子はたのしい。声だけしか聴いてないはずやのに、口元が緩みながらにやにやしてしゃべっているのが目に浮かぶ。うーん、かっこいいな。
STOP THE HATE from IKEIBI FILMS on Vimeo.
昨日、歩いていると小学生がボールで遊んでいたのが見えた。ボールがそれて、ころころと転がっていくのを一人の男の子が追いかけていた。
結局、田んぼに落ちてしまったからそれをなんとなく眺めていると、男の子はえいやと思いっきりジャンプして田んぼに飛び込んだ。
その様子がなんというかあっぱれで、じいんとした。田んぼに降りるだけやのに、思いっきり踏み切って斜め上に羽ばたきそうな感じで飛んで、背中がしなやかに反っていて、ドラゴン戦でヒーロー覚醒してめちゃくちゃ高く飛んだ時のペコみたいや、と思った。マンガじゃなくて、アニメじゃなくて、ドラマじゃなくて、日常であんなに躍動感のある動きを(遠巻きやけど)目にして、マスクの下の鼻の穴がふんっと開きそうやった。
男の子はパットボールを拾いあげて、ひょいとまた道路に戻っていって、ボール遊びは続行。
一瞬の風景。
この間図書館に行った時に4冊本を借りた。
期限が迫っている。
昨日電車の中で「私の中の男の子/山崎ナオコーラ著」を読み終わった。
めちゃくちゃおもしろかった。主人公「雪村」と自分の立場や置かれている状況は違うけれど、小説の中に出てくる数々のフレーズに共感したり、ぐっっと突き刺されてうううううとうなったり(心の中で)。
久しぶりにああ~、文字を追いかけるって、本を読むって楽しいなぁ、となんか読み終わってそわそわしたな。
昨日、相生に行ってきた。
相生と聞いても、名所や名物がいまいちピンとこない。ただ、ともこさんと私の家のちょうど中間くらいの場所が相生くらいだからそこで会うことにしようと落ち着いたのだ。
こういう感じの待ち合わせ場所の決め方は久しぶりで以上にわくわくした。誰かと待ち合わせるなんて、大きな町か何かがあるところというのが定番というもの。しかし、今回はただただ「間を取って」というだけで相生にスポットライトがあったのだ。
でも、久しぶりに会う友達、そしてころ中であんまり人のたくさんいるところに行くのもどうも気が引ける、とあれば、この相生で会ってお茶をするというのは至極理にかなった理想的な待ち合わせ場所にも思えてくる。
降り立ったことのない町に降り立つのは面白い。車のナンバープレートが自分の車と一緒なのに、この町を通り過ぎたことはあるけど、電車で降り立つのは初めて、という相生と私の不思議な距離感。
久しぶりに会う友達は元気そうで、マスクの上からでもお互いの笑みがこぼれるのがわかった。ただひたすらに南の方面に向かって足を動き出して、車などに気をつけながら、街並みをほぅほぅと楽しみながら、早速話す。
相生はペーロン祭りで有名で、まぁ、それくらいしか知らんのやけど、南に歩ききったら海にぶつかって、ワンになって波がほとんど立っていないその場所こそが、おそらくペーロン祭りの会場になっているのではないか、と想像された。
遊歩道も整備されていて、階段上になった観覧席のような石があって、そこに腰かけながら海を眺めつつ、いろいろな話をただだらだらと続けた。
昼時になっておなかがすいたら立ち上がって、またうろうろしてご飯を食べられそうなところを探し、おなかが満たされれば、また街並みをゆっくりと楽しみながら歩いた。そして、お茶を飲もうと言ってきっさてんを探し、またうろうろと歩いた。
天気が良くて、寒すぎず、歩いたことない町を友だちと雑談しながらうろうろする。別にショッピングをするわけでなし、ただ話す。
すごく贅沢な一日の過ごし方やったな。またやろう。
ぼんやりしていたらもう水曜日。
毎月投稿している関西ウーマンのコラムが今月も公開された!メヒコから離れるほどに、リアルタイムではないからフレッシュさには欠けるかもしれへんけど、妙に哀愁と愛情が深まっているような、そんなコラムです。
https://www.kansai-woman.net/theme742.html
寒いなぁ。
私の住んでいるアパートはリビングとダイニングがズドーンと繋がっているので広くて日当たりがいいのでいい。しかし、冬(そして夏も)は部屋が小さいほうがありがたい。というのも冷暖房が効きにくくなるからだ。
リビングにはソファーとカフェテーブルしかないのでダイニングのテーブルでいつもパソコンなどを使っていたけど、寒さがなかなか厳しくなってきたのでどうしたもの考えていた。
目についたのはカフェテーブル。これを底上げしたらええ感じにテーブルになるんではないか、と思い始めたら、「やってみたい」気持ちがすごい勢いで「いいんちゃうかな」という淡い気持ちを追い抜いて行った。リンゴ箱を棚として使っているので、リンゴ箱を足に置いたらええと思っていて、それを試したくて試したくて。
高さがええ感じで思った通りや!!と思ったのもつかの間、やはり足を入れるスペースというのがないから若干使いづらい。この若干というのがポイントで、長時間使っているうちにいらいらしそうな感じ。
翌日、シルクスクリーンを刷るときに使っているメラミンの大きいボードがあるんやけど、それをのせて、より机らしくした。足がカフェテーブルの脚にぶつかることもなく、これはまさにテーブル。
ええ感じや。
と思いながらいま、このブログをカタカタと書いている。
年末に家に帰っている間にだらだらとテレビを見ていたけど、なんか、コマーシャルが老人向けのものが多いことに気が付いてびっくりした。
健康食品とか、おむつとか、とにかく老齢者向けのものが多くて、日本の高齢化が進んでいるのをなんか間接的に感じてぞっとした。
あるいは、若い世代のテレビ離れが加速しているからそういう人には別の場所で広告が打たれているだけかもしれへんけど。
普段テレビがない生活をしているもんやから、久しぶりにある環境に行くと自分がテレビをよく見ていたころとの変化というか、違いがすごく際立ってみえる。
寒波が来てる。寒い。
寒くて暗いから朝が起きにくい。今朝は携帯の画面を見たらマイナス4度表示。
くぅ~。ぬくぬくしておきたいぜ、という気持ちもあったけど、えいやーと布団を飛び出した。まだ暗いけど、夜明けのころのぐんぐん空が明るくなってくる感じは結構好き。下の方から赤くなって、上の方がまだ暗いのは、飛行機の上からみる朝と夜の境目を思い出すから、いつもそれを見る瞬間は、外国に思いを馳せられる気がする。
この間、倉敷民藝館に行ってきた。「祈りの周辺」という展示をやっている。
常設展のかごとか椅子とかは相変わらずそこにしっくりとなじんで美しい。使い勝手を考えられて作られた細部の様子を見ていると、使い方がわからなくてもちょっと想像をしてみたくなる。
企画展。祈るという行為は、外国に行くとキリスト教なんかやと毎週ミサがあったり、スペイン語なんかでは日常的に"Dios te bendiga(神のご加護を)"なんて言われたりする(セニョーラの知り合いが多いからかな??)から、日本にいるよりも身近な行為なのかな、という気がしていた。
でも、展示を見ていると、祈るという行為は、世界のどこにでもあるものだとつくづく感じた。自然の中に人が暮らす。どうか無事でありますように、どうか自然の災害から身を守れますように。どうか安全に暮らせますように。と、私たちの周りには様々な祈りがあることに気が付く。
祈りの対象とされた石像や木像の顔の表情はどれも優しい顔をしていて、なんかすごく気持ちが穏やかで温かくなった。
最近のニュースを見ていると、そんな気持ちになることが本当にないなと思う。こわいなとか、やばいなとか、なんでやねんとか、憤ることが本当に多い。私利私欲を優先しているとしか思えないような人たちが権力を持っていること見せつけられているようなやるせない気持ちにさせられてばっかりだ。
暮らしというと身近な感じがするけど、世界というと漠然と大きな感じがする。でも、それぞれの人のくらしが世界をつくっているのだから、やっぱり暮らしを大切にして、自然の中で生かさせてもらっているんだという点を忘れないようにしないとな、と思う。
2020年が終わった。本当に変な年だったな、とつくづく思う。
何もなかったかというとそうでもなくて、むしろ個人的なライフイベントとしてはかなり変化のあった一年だった。6年弱住んだオアハカから日本に引っ越してきたことや、それに伴う夫と一緒に住み始めたことなんかは結構パンチのあるイベントだった。のに、それすらかすむようなその後のコロナ。ほんま、何が起こるかわからへんとはわかっていたようなつもりだったけど、世界規模で何が起こるかわからへんというのを知ったな。うん。
2020年の年始に立てた目標。①本を読む②恐れず、面倒くさがらず挑む③自分は自分
①本を読む、これについては2019年よりは読んだけど、ほんと常に生活するという感じではなかったな。むらがあった感じ。だから、あんまり呼んだという感触がない。残念。
②恐れず、面倒くさがらず挑む、これは、「何に」挑むのかぼかされているので目標自体があまりよくないと今思うけど、新天地において、シルクスクリーンをできる環境を整えるという点では、自分が気に入るマテリアルを実際にお店に足を運べない(実物をチェックできない)という中では何とかメヒコで学んだことが活かせるものを見つけることができたと思う。ただ、それより先の「挑む」というレベルだったかというと、それは疑問。
③自分は自分、2019年は状況に参っていたのか、自分をあんまり認められずにスタートしたのか。たぶん、そう思うこと自体が自意識過剰というか心に余裕がなかったのだと思う。膨大な情報はいらんので、必要なものを選び取ってそれを咀嚼して力にかえていけるようになりたい。こんな目標を立てる以前に、自分は自分でしかあり得へんし、何ならその先に行くために背中を押せるくらいになりたいと今は思う。
2020年を振り返る、以上。2021年はもっとカラッと行けるように、日々精進やな。とりあえず、ここで振り返ったので、2020年は完!
久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。