2021-02-25

図書館で借りた本

 この間図書館に行った時に4冊本を借りた。

期限が迫っている。

昨日電車の中で「私の中の男の子/山崎ナオコーラ著」を読み終わった。

めちゃくちゃおもしろかった。主人公「雪村」と自分の立場や置かれている状況は違うけれど、小説の中に出てくる数々のフレーズに共感したり、ぐっっと突き刺されてうううううとうなったり(心の中で)。

久しぶりにああ~、文字を追いかけるって、本を読むって楽しいなぁ、となんか読み終わってそわそわしたな。

中間地点で会いましょう

 昨日、相生に行ってきた。

相生と聞いても、名所や名物がいまいちピンとこない。ただ、ともこさんと私の家のちょうど中間くらいの場所が相生くらいだからそこで会うことにしようと落ち着いたのだ。

こういう感じの待ち合わせ場所の決め方は久しぶりで以上にわくわくした。誰かと待ち合わせるなんて、大きな町か何かがあるところというのが定番というもの。しかし、今回はただただ「間を取って」というだけで相生にスポットライトがあったのだ。

でも、久しぶりに会う友達、そしてころ中であんまり人のたくさんいるところに行くのもどうも気が引ける、とあれば、この相生で会ってお茶をするというのは至極理にかなった理想的な待ち合わせ場所にも思えてくる。

降り立ったことのない町に降り立つのは面白い。車のナンバープレートが自分の車と一緒なのに、この町を通り過ぎたことはあるけど、電車で降り立つのは初めて、という相生と私の不思議な距離感。

久しぶりに会う友達は元気そうで、マスクの上からでもお互いの笑みがこぼれるのがわかった。ただひたすらに南の方面に向かって足を動き出して、車などに気をつけながら、街並みをほぅほぅと楽しみながら、早速話す。

相生はペーロン祭りで有名で、まぁ、それくらいしか知らんのやけど、南に歩ききったら海にぶつかって、ワンになって波がほとんど立っていないその場所こそが、おそらくペーロン祭りの会場になっているのではないか、と想像された。

遊歩道も整備されていて、階段上になった観覧席のような石があって、そこに腰かけながら海を眺めつつ、いろいろな話をただだらだらと続けた。

昼時になっておなかがすいたら立ち上がって、またうろうろしてご飯を食べられそうなところを探し、おなかが満たされれば、また街並みをゆっくりと楽しみながら歩いた。そして、お茶を飲もうと言ってきっさてんを探し、またうろうろと歩いた。

天気が良くて、寒すぎず、歩いたことない町を友だちと雑談しながらうろうろする。別にショッピングをするわけでなし、ただ話す。

すごく贅沢な一日の過ごし方やったな。またやろう。

2021-01-20

関西ウーマン

 ぼんやりしていたらもう水曜日。

毎月投稿している関西ウーマンのコラムが今月も公開された!メヒコから離れるほどに、リアルタイムではないからフレッシュさには欠けるかもしれへんけど、妙に哀愁と愛情が深まっているような、そんなコラムです。

https://www.kansai-woman.net/theme742.html


2021-01-14

寒波

 寒いなぁ。

私の住んでいるアパートはリビングとダイニングがズドーンと繋がっているので広くて日当たりがいいのでいい。しかし、冬(そして夏も)は部屋が小さいほうがありがたい。というのも冷暖房が効きにくくなるからだ。

リビングにはソファーとカフェテーブルしかないのでダイニングのテーブルでいつもパソコンなどを使っていたけど、寒さがなかなか厳しくなってきたのでどうしたもの考えていた。

目についたのはカフェテーブル。これを底上げしたらええ感じにテーブルになるんではないか、と思い始めたら、「やってみたい」気持ちがすごい勢いで「いいんちゃうかな」という淡い気持ちを追い抜いて行った。リンゴ箱を棚として使っているので、リンゴ箱を足に置いたらええと思っていて、それを試したくて試したくて。

高さがええ感じで思った通りや!!と思ったのもつかの間、やはり足を入れるスペースというのがないから若干使いづらい。この若干というのがポイントで、長時間使っているうちにいらいらしそうな感じ。

翌日、シルクスクリーンを刷るときに使っているメラミンの大きいボードがあるんやけど、それをのせて、より机らしくした。足がカフェテーブルの脚にぶつかることもなく、これはまさにテーブル。

ええ感じや。

と思いながらいま、このブログをカタカタと書いている。

2021-01-11

CM

 年末に家に帰っている間にだらだらとテレビを見ていたけど、なんか、コマーシャルが老人向けのものが多いことに気が付いてびっくりした。

健康食品とか、おむつとか、とにかく老齢者向けのものが多くて、日本の高齢化が進んでいるのをなんか間接的に感じてぞっとした。

あるいは、若い世代のテレビ離れが加速しているからそういう人には別の場所で広告が打たれているだけかもしれへんけど。

普段テレビがない生活をしているもんやから、久しぶりにある環境に行くと自分がテレビをよく見ていたころとの変化というか、違いがすごく際立ってみえる。

2021-01-08

倉敷民藝館

 寒波が来てる。寒い。

寒くて暗いから朝が起きにくい。今朝は携帯の画面を見たらマイナス4度表示。

くぅ~。ぬくぬくしておきたいぜ、という気持ちもあったけど、えいやーと布団を飛び出した。まだ暗いけど、夜明けのころのぐんぐん空が明るくなってくる感じは結構好き。下の方から赤くなって、上の方がまだ暗いのは、飛行機の上からみる朝と夜の境目を思い出すから、いつもそれを見る瞬間は、外国に思いを馳せられる気がする。

この間、倉敷民藝館に行ってきた。「祈りの周辺」という展示をやっている。

常設展のかごとか椅子とかは相変わらずそこにしっくりとなじんで美しい。使い勝手を考えられて作られた細部の様子を見ていると、使い方がわからなくてもちょっと想像をしてみたくなる。

企画展。祈るという行為は、外国に行くとキリスト教なんかやと毎週ミサがあったり、スペイン語なんかでは日常的に"Dios te bendiga(神のご加護を)"なんて言われたりする(セニョーラの知り合いが多いからかな??)から、日本にいるよりも身近な行為なのかな、という気がしていた。

でも、展示を見ていると、祈るという行為は、世界のどこにでもあるものだとつくづく感じた。自然の中に人が暮らす。どうか無事でありますように、どうか自然の災害から身を守れますように。どうか安全に暮らせますように。と、私たちの周りには様々な祈りがあることに気が付く。

祈りの対象とされた石像や木像の顔の表情はどれも優しい顔をしていて、なんかすごく気持ちが穏やかで温かくなった。

最近のニュースを見ていると、そんな気持ちになることが本当にないなと思う。こわいなとか、やばいなとか、なんでやねんとか、憤ることが本当に多い。私利私欲を優先しているとしか思えないような人たちが権力を持っていること見せつけられているようなやるせない気持ちにさせられてばっかりだ。

暮らしというと身近な感じがするけど、世界というと漠然と大きな感じがする。でも、それぞれの人のくらしが世界をつくっているのだから、やっぱり暮らしを大切にして、自然の中で生かさせてもらっているんだという点を忘れないようにしないとな、と思う。


2021-01-07

2020年を一番遅く振り返る。

 2020年が終わった。本当に変な年だったな、とつくづく思う。

何もなかったかというとそうでもなくて、むしろ個人的なライフイベントとしてはかなり変化のあった一年だった。6年弱住んだオアハカから日本に引っ越してきたことや、それに伴う夫と一緒に住み始めたことなんかは結構パンチのあるイベントだった。のに、それすらかすむようなその後のコロナ。ほんま、何が起こるかわからへんとはわかっていたようなつもりだったけど、世界規模で何が起こるかわからへんというのを知ったな。うん。

2020年の年始に立てた目標。①本を読む②恐れず、面倒くさがらず挑む③自分は自分

①本を読む、これについては2019年よりは読んだけど、ほんと常に生活するという感じではなかったな。むらがあった感じ。だから、あんまり呼んだという感触がない。残念。

②恐れず、面倒くさがらず挑む、これは、「何に」挑むのかぼかされているので目標自体があまりよくないと今思うけど、新天地において、シルクスクリーンをできる環境を整えるという点では、自分が気に入るマテリアルを実際にお店に足を運べない(実物をチェックできない)という中では何とかメヒコで学んだことが活かせるものを見つけることができたと思う。ただ、それより先の「挑む」というレベルだったかというと、それは疑問。

③自分は自分、2019年は状況に参っていたのか、自分をあんまり認められずにスタートしたのか。たぶん、そう思うこと自体が自意識過剰というか心に余裕がなかったのだと思う。膨大な情報はいらんので、必要なものを選び取ってそれを咀嚼して力にかえていけるようになりたい。こんな目標を立てる以前に、自分は自分でしかあり得へんし、何ならその先に行くために背中を押せるくらいになりたいと今は思う。

2020年を振り返る、以上。2021年はもっとカラッと行けるように、日々精進やな。とりあえず、ここで振り返ったので、2020年は完!


2020-12-29

お菓子の家

 この間、実家に行ったらあんちゃんが泊まりに来ていた。

あんちゃんはお菓子の家づくりキットを家から持ってきていて、その家の建設の真っ最中やった。一緒にやったけど、つまみ食いがすごかった。デコレーションのチョコとかも隙あらば(いや、もはやこそこそとはせず堂々としたものやったな。)なめまくっていた。

何とか完成したけど、一緒に食べるのはな……ちょっとはばかられた。笑

あんちゃんは自由やなぁ。

2020-12-21

これこそつれづれ。

 この間whatsappの通話機能でみさよさんと話した。みさよさんは、オアハカでめちゃくちゃ世話になった日本人の方で、オアハカにはもう10数年住んでいらっしゃる。

オアハカから日本に戻ってきてから、ほんまにすぐ、メヒコの方でもコロナが騒がれだした。日本は、ダイアモンドプリンセス号の件が落ち着き始めて各地で感染が徐々に確認されだしていた。という感じなので、メヒコやオアハカのコロナ禍の様子は、自分では経験しておらず実は知らない。

何か月か前に友達が「コロナのこと最初は信じてなかったけど、親戚がかかってそれから信じているよ!」と言っていたのとか、つい先日「実はコロナにかかっていて、今回復してきている途中」というていたのとか、感染が日本にいるよりはもっと身近なのかも、という風に思っていたけど、今回みさよさんと話して衝撃の事実を知ることとなった。

オアハカでは今めちゃくちゃマスク着用に厳しいのだそう。マスクなしで道を歩いてしまったら、「ちょっとあんた!マスクちゃんとしなさいよ!」と通りすがりのおばちゃんに注意されたり、店もマスクなしでは入店できないし、人数制限も行われているのだとか。

このあたりは日本よりも厳しいというか、ちゃんとしているからびっくりした。

さらに、オアハカの周辺の村々では、村単位でそれぞれの対策がなされているらしく、村民以外は村に入村することができない(村民である証明の通行手形みたいなやつが必要らしい)とか、どうしても入村しないといけない場合は、医者に書いてもらった証明書を見せたり、あるいは滞在できる時間が決められたりしているらしい。

これはなんやろう、政府とかの対応は当てにならへんから自衛するという自治の考えなのか。いずれにしても、村にはウイルスは持ち込ませない!というのが伝わってくる。

あとオアハカ内のどこの話だったかは忘れたけど、車丸ごと消毒されたりもするのだそう。車に乗っている人たちは外に出されて、内部をアルコールの噴霧液みたいなのをシャーっとかけられるのだそうだ。日本でそんな光景観たことない……!と思うと、やはり、メヒコは簡単に自分の想像の範囲を超えてくるというかなんというか。日本にいて、日本のニュースばっかり見ていると、すっかり基準が日本基準になってしまっていたな、とはっとした。

ウイルスの広がり具合や各国の対策は、もはや現地に住んでいる友達とかから聞く話が一番信頼できる情報で、ニュースを見る限りではようわからへん。インターネットとかで世界はもっと身近になってきてるんじゃなかったんか。とにかくみんな元気でこれを乗り越えてまた実際に普通に会えるようになりたいと願うばかり。

情報と言えば、今日Facebookのポリシーの改定があったのだとか。なんか今年は急に自分の心がFacebookとうまくやっていけなくなったから、遠ざかっているけど、Instagramを使っているから結局Facebookをやっているのと変わらんのやけど。個人情報がどんどんと吸い取られてプライバシーの侵害が進んで、Facebookのポリシーのところを読むと、それぞれの顧客のニーズや嗜好に合ったものを提供するために、とか書いてあるけど、それが進むにつれて、なんか息苦しくなってくるのは何やろう。自分にとって他者やAIが勝手に選んだベストなものを押し付けられているようやからかな。自分の好きなものはやっぱり自分で見つけたり選んだりしたいし、情報があふれているのにどれも信用ができひんかったり、上辺が強烈でもう咀嚼できそうにないから受け入れたくないというか、シャットダウンしてしまうというかなんというか。それを怠ったらまるで社会と分断されたような気持にさせられて、なかなか気持ちが追い付かへんかったよな、ほんま。今も追いつかへんから、こうしてブログを思いついた時に思い付くままに書いているんやけれどな。なんかすごい時代になってきたなぁ。

いい波が来てるけどサーフィンは別にしたくないから、素潜りでシュノーケリングをすることにして、なんか変なものやきれいなものを見ているという感じがする。でかい声で独り言を言いながら。「なぁ」と言い合えるパートナーや家族や友だちのことをほんまにありがたくいと大切に感じる今日このごろ。

9月くらいから地道にまさみのワークスペースを借りて、月一でワークショップをしたりしたなかで新しく知り合った人たちや、知ったことというのは小さなつながりかもしれないけどどの話もどの情報もその人の経験してきたことを共有してもらっているので、やはり自分にとっては新しく目を見開かされるものでおもしろかったし、そういう経験がこのご時世の中でできたというのはほんまラッキーやった。

遠くに思いを馳せることは、近くのことをしっかりと見つめないとできないことかもしれないと最近は思う。思いや考えを巡り巡らせることになった2020年、年が終わるころに結局身近なところにたどり着きそう、というわけなんやけどな。あと10日で今年が終わるとは。信じられへんし、なんか変な感じ。

2020-12-16

メヒコに無事!

 荷物が届いたよ、と連絡があった。

安心したなぁ。

マリアは早速張り子をルシアと一緒に作って明日色塗りをしてくれるみたい。楽しみ!

2020-12-11

思い出した!

 この間みたすごい嫌やなぁ、と思った光景。どちらも老夫婦の買い物風景で1つ目は、ドラッグストアでおばちゃんがまだいろいろ見てるのにおっちゃんの方が勝手にレジに並んで順番が来て、店内中に響き渡る大声で「お母さん!何しとんや!」と叫びまわるというもの。これは恥ずかしいし、買い忘れがないように店内を見てるんやからそれは辛抱して待ってあげたらいいのに、と思った。

2件目のは思い出しただけでも悲しくなる。スーパーにて。またおっさんが大声が聞こえてきた。と思って振り返ると、酒に酔っているのかかなり乱暴なおっさんが奥さんに向かってこぶしを振り上げていた。おばちゃんはほんまにおびえているといった様子で必死で頭や顔を覆っていて、ほんまに怖くなった。公共の場であんな状態なんやから、家の中では実際に暴力を振るわれているのかもしれないと思うと、心が痛くてものすごく暗い気持ちになった。

いずれも年のころなら60後半から70代の夫婦と思われる。あの世代ではああいうのがふつうやというのは通用しない。あれ以来たまにあのスーパーで見たおばちゃんのおびえる顔を思い出す。すごく悲しい気持ちになる。

Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。