2005-07-08

culture shock

関西圏の言葉と、関東圏の言葉にはやはり微妙なニュアンスの違いがあるようだ。イントネーションが違うのはもちろんだけれど、その言葉が使われている風土のようなものが色濃く反映されている様な気がする。だから、私がはなった言葉が私が意図するのとは全く違った解釈をされることが、どうやらあるようだ。『そういうつもりで、そういう意味で言うたんちゃうのに』。と思えど、もう遅い。そういうわけで、結構凹んでいる。

私の友だちの一人に、関東に住んでいる子がいて、昨日その子と電話をしていてはじめは差し当たりないことを話していたのだけれど、話がエキサイトしていった末に、『話し方がきつい』『人を見下したようなしゃべり方をしている』と指摘を受けたのだ。はじめは、一種の文化の違いだと思って、本当にそんなつもりで言ったわけではない旨を説明し、平謝りをしたのだけれど、別に今回の電話に限らず、今までも何回もそういう『発言』があったよ、と付け加えられた。今になってそれをまとめて言われたことにびっくりしたけど、私はそれに気付かずにずっといて気分の悪い思いをさせていたと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になった。私は友だちとは電話でもわりかしテンション高くしゃべってしまうほうなのだけれど、そのしゃべり方にも問題があるといわれた。真剣な話をしているときに、妙に笑ったような口調になっているとか(それゆえ、馬鹿にされている気持ちになるらしい。)、声を張りすぎているとか。悪いことをしていたな、と思ったから『ほんまにショックやわ』を連発したけど、それすらも『ほんとはそんなこと思ってないでしょ』と軽く流されてしまった。

さて、夜が明けて今日は一日そのことを悶々と考えつづけてしまった。なんか、よくよく考えてみると、すごい失礼なことを言われてはないだろうか。関西弁と関東弁から発生する言葉のニュアンスを超えて、ちょっと人格否定されたような気がしてきた。上に書いた以外にも、『他からいわれていないだけで、(私の)言葉に傷ついてるのは俺だけじゃないと思うよ』とか『話す時はもっと言葉を選ばないとだめだ』とか、こうして改めて思い出して文字にすると結構えげつないことを言われていたのだ。もっとも、そんなことをずっと思っていたくせに、今まとめて言われたらショックが大きい。その場その場でその都度言ってくれたなら、今のはそういう意味じゃない、とかその都度修正・訂正もできただろうに。まとめて、あの時は…、で言われてもそれは卑怯だ。凹むな、気にするなといわれてもやっぱり食らった打撃はきついのだ。そして、それらの言葉を直接返してやりたい。私は普段からものをはっきり言うし、確かにきついところがあるかもしれない。だけど、完全無敵ではないのだ。はっきり言うて落ちる時もあるし、誰かの言葉に傷つく時もある。『話す時は言葉を選ばないとだめだ』、それはそうかもしれないけれど、『聞く時は相手の声のトーンや調子を聞き分けなければならない』のではないだろうか。あれだけ私に警告をしたその友だちは、私がどれだけショックを受けて今日を過ごしたのを知らないだろう。もしも気付いていたなら『ごめん』くらいは言えるはずだと私は思う。それが彼の言う、『話す時に相手をいたわる気持ち』なのではないだろうか。まぁ、無神経にも全く関係のないメールがきていたけれど。

まぁ、こんなえらそうなことを言いつつ、結局、これ愚痴なんだけれどね。その友達を共通で知る友だちに電話して、そこでも散々色々聞いてもらった。やっぱり、溜めたらあかん。と思います。

No comments:

Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。