2020-09-23

BIZEN中南米美術館

 4連休、3日目は備前市日生町にあるBIZEN中南米美術館へ。

ある日、どこかの美術館でもらった冊子で見つけたのだ。なぜ岡山の海の町に中南米の美術館が……?!とめちゃくちゃ気になっていて、ようやく行くチャンスが。

日本で初めてサブスク制を取り入れたという美術館で、1口3000円からサポーターになれるとか、やたら充実したウェブサイトとかも気になっていたけど、行って納得。館長さんがめちゃくちゃアツい!!!

今の展示は「MAYA戦国物語」。マヤ文明は、文字を持っていた文明だけれど、今までその解読が人間によりコツコツと進められていたけど、近年AIの力によりものすごいスピードで進んでいるとのこと。館長さんの話によると、それによって新たに分かったことがたくさんあって、日本の戦国時代のような、大河ドラマにでもできそうなドラマティックでダイナミックな物語がたくさんあるのだという。記録も本(ジャガーの皮の表紙で、木のページが蛇腹折になったもの)スペインが侵略にやってきたときに4冊をのぞいて全部処分されてしまったのだそうで、主に石に刻まれたものを解読しているのだそうだ。

文明や歴史に疎いので、説明をがんばって読んでみるけどちょっと時系列や名前がすっと入ってこないところもあり、嗚呼、勉強不足……と思いつつ、出土品などを鑑賞して純粋に楽しむことにした。造形や表情がおもしろく、彩色や模様も興味深かった。

その日は、会員さんのイベントがあったみたいで、私たちが見ていると会員さんの会合が終わった後に館長さんが下に降りてきて、せっかくですからと言って展示品の笛をいくつか吹いて音色を聞かせてくれた。展示品をあんな風に取り出して、しかも音まで奏でてくれるのはさすがに初めて見てびっくりしたけど、館内に響き渡った音色は耳と心に染みた。

あの館長さん知識がめちゃくちゃあって話をなんぼでも聞いておけそうなんやけど、それを超越する愛。しびれた。そして、美術館を出た後なんか興奮気味にVIVA MÉXICOと鼻息があらくなっていた。熱意を伝えるパワー、あの館長さんはすごい。


2020-09-22

カフェ・サンコーズ

4連休。いつの間にかこの秋の連休はシルバーウィークという名前がついたみたいで、先週の金曜日から今日までがちょうどそれ、というようで。

4連休の初日は、まさみのお店「イシヅカ靴店x靴屋カフェ」にてサンコーズとして一日カフェ。まさみがワークショップを開催するので、その間、カフェの店番、というか、せっかくなので自分たちのやりたいことも入れつつわいわいやろう、という試み。

サンコーズのメンバーは、とよこちゃん、ジェフ、私。今回は、まさみが準備した通常メニューとしてあるカレーに加えて、我々が準備したプリンをラインアップに加えて挑んだ。ワークショップではキーケースやコインケースをみなさん上手に作っていて、出来上がったのを「こんなんできましたー!!」とみんなうれしそうに見せてくれて、プリンも食べて行っていただいていやぁ、ありがたいなぁ、と。

1年生のおんなのこも、お父さんの力を借りながらやけどめちゃくちゃかわいいコインケースをつくっていて、恥ずかしそうに、でも一生懸命頑張ったところなどを教えてくれた。1年生であんな立派に針と糸を使ってものをつくれるなんて(しかも皮とか縫うの難しいやろうに)ほんま驚いた。お父さんがこういうイベントを見つけてきて一緒に参加してくれるというのも素敵やなぁ、と。小さいころから自分でものをつくる楽しさや喜びを体験できるっていうのはほんま、素晴らしい。

カフェの方は、シルバーウィークということもあり、遠出した人が多かったのかそんなにたくさんお客さんは来なかったけれど、まさみのところの常連さんに高砂の町で10月に行われるイベントのことを教えてもらったり、高砂にはちょこちょこといろんなお店やイベントが行われているみたいで行ってみたいなぁという気持ちがにょきにょき。

初回のサンコーズはゆるやかにでも和やかに楽しくできてよかった。来月は、もうちょっと職を充実させてまた出店するので今から楽しみ。むへへ。

2020-09-18

mid90s

 久しぶりに、うおおお、この映画を見てみたい、というトレイラー見て思った。「mid90s」である。

90年代半ば。

口に出して言うてみるだけでなんとなく甘く、うっとりする。私はスケボーキッズでもなかったし、ヒップホップを聞いていたわけでもない。でも90年代に思春期真っただ中で、洋楽を聞き始めてみたり、本を読んでもやもやとうじうじといろいろとぐるぐるしていたな。それは今でも変わらへんのかもしれへんけど。

弟と両親が買い物に行った瞬間にこっそりスーパーファミコンを取り出して遊んだり、一輪車を無駄に練習したり、自転車を立ちこぎして駄菓子屋に行ったり、友だちと真冬の夜中に流星群を見るためにもこもこにだるまみたいにいろいろ着込んで地面に寝転がって空を見上げるとか、学校からの帰り道次の日も会うくせにどうでもええ話を最後の交差点のところでいつまでもだらだらしゃべったり、自転車を二人乗りしていたら溝にはまったり、行き先も決めずに始発の電車に乗り込んでとりあえずいけるところまで行ったり……。

90年代から00年代前半は、あほすぎる思い出がいっぱいやな。そのころに聞いていた音楽を聞いたら映像やにおいがよみがえってきそうな妙に生々しい温度の時代だ。

苦くてどうしようもなくてダークで何もできない。でも甘い、そういう気持ちをぐっと抱きしめたくなる。映画を見ながら映画の中の少年たちの気持ちに入り込むというよりも、映画をおいながら、自分自身のそういう気持ちを引き出されたような、見終わった時にそんな気持ちになっていた。

いい映画やった。

2020-09-17

焦げた

昨日、アスパラの肉巻きをつくった。味がよう染みたらおいしいやろう、と思ってフライパンをほったらかしにしていたら、何やら香ばしいにおいが。

と気づいた時にはもう焦げていた。ああ、残念。残念過ぎる。It happens(まあそんなこともあるって)と言われても、アスパラガスを食べた後の独特のおしっこのにおいをかぐと、「ああ、昨日焦がしたな」と思い出してしまうのだ。くうう、悔しいなぁ。

アスパラガスを食べた後、尿のにおいが変わるというのをつい最近教えてもらったけど、今ネットで調べたらどうやら、全員が全員その匂いの変化をかぎ分けられるのではないらしい。

https://diamond.jp/articles/-/154624

おもしろいな。

2020-09-16

スズキのお兄さん

 昨日、夫が帰ってきたら車でピュンっとコーナンに行こうと考えていた。帰ってきたから、「ほなー!」と出かけようと思ったら、謎の黒い物体を差し出された。

聞くと、車から出ていたとのこと。黒いひも状の布にはメーカー名と品番が書いてあったからそれを頼りに、早速インターネットで調べてみた。すると、ファンベルトというものらしかった。完全にベルトが切れたわけではなくカバー(?)部分のところが外れただけっぽいけど、そんなものが切れたまま車を走らせるのも怖いので、修理してくれそうなところを探すことにした。

いつもガソリンを入れるガソリンスタンドを通りかかると、車の点検も行ってそうな感じだった。一応聞いてみるとやはりファンベルトが劣化しているっぽいと言われた。部品を取り寄せるのに時間がかかるみたいなので、ディーラーに行ってみることにした。

中古で買った車で、買ったときに車検をつけてもらったきり特に点検らしいことはしていなかったし、ディーラーへも持って行ったことはなかった。スズキのディーラーに行くとまだ電気がついていて開いてそうだったからほっとした。

店内の電気はついている(し、何より自動扉で中に入ることができた)のに人がいない。呼び出しのピンポンもベルもないからどうしたものかな、と思っていると奥の整備するところからお兄さんが出てきた。

例の謎の黒いひも状のやつを差し出して、事情を説明すると早速ボンネットを開けてみてくれた。この動作ですでにさっきのガソリンスタンドで見てくれたお兄さんと全く違うかった。さっきの人が、「まぁ~、おそらく……」という感じで説明してくれたのに対してこのお兄さんは、どういう状況なのかをわかりやすく、そして的確に教えてくれた。

直せるかどうかはやはり部品があるかどうか次第になると言われたが、それもすぐに確認してくれて、部品があるとのこと。しかも、閉店30分前なのにもかかわらずすぐにしてくれるという。

もうその時点でこのお兄さんへの好感度と信頼度が爆上がりやったわけで、忠犬ハチ公のようにいつまでも待とうと決めた。そんな大げさな覚悟とは裏腹に、ものの20分ほどで完了した。中古車で買ったからあんまり車の状態がよくわかってなかったけど、エアコンを使いだしてから聞こえるようになった謎の音が気になっていたので「実はこんなことが気になってまして……」とお兄さんに音のことも相談してみた。すると、考えられる原因の可能性を列挙してくれて、実際にまたボンネットを開けて音を確認したりなんだりしてくれて、フットワークの軽さと気さくに対応してくれる様子に感激してしまった。新しい町に越してきたことと、コロナのこともあるしあんまり誰ともかかわっていなかったので、こんな風に談笑しながら人と接するのもなんか家族・友達意外とは最近してなかったなぁと思う。

話を聞いてもらったら、オイルの交換時期をとっくに過ぎていることを教えてもらい、今度オイル交換がてら内部をもう少し見てみてくれるということになった。中古車やから、もしかしたら何人かのオーナーを転々として、みんなに「中古やし」的に乗り継がれてあまりメンテナンスしてもらえてなかったのかも?!というか、我々もそんなにしてなかったかも、とちょいと反省。

それにしても、あのお兄さんに車を見てもらえてほんまに助かった。車は毎日使うので、なんか部品が足りてないまま数日とはいえ走りつづけるのも不安だと思っていたから、無事に治ったのもうれしかったし、あのお兄さんのような人に直してもらえたのて本当に良かった。やっぱり、道具やものは大事にせなあかんし、信頼できる人に見てもらえたらほんまに安心感が得られるなぁと、コーナンで買いたかったものを買えずともなんかいい気分になって家に帰ってきたのだった。


2020-09-15

Bad Religion

 オアハカにいてるころからSpotifyを有料で使い始めた。無料で使っていたのがあまりにCMが多いので、メヒコでプロモーションをやっているときに安く始めたのだ。CMが無かったり曲をDLしてオフラインでも聞けたりするというのはやっぱりめちゃくちゃ便利で、無料トライアルが終わっても結局そのまま契約して使ったままになっている。サブスクって結局そうなってしまうんかな。でもまぁ、助かっているからありがたい。

長年新しいバンドを発掘するとかもしてなかったし同じ曲ばっかりを聞いてしまいがちになってたけど、Spotifyを始めてからはええ感じに自分の好きそうなジャンルとかをYour Daily Mixとしておすすめしてくれて新しいバンドを発掘できたりして楽しんでいる。

それでBad Religionのかっこよさに改めて気が付いて、めちゃくちゃにはまっている。Bad Religionがまだバンドの活動を続けていたのにも驚いた(だって、私が高校生くらいの時にはすでにゴリゴリに活躍していてたから、彼ら一体もう何歳なんや?!と)。なんと昨年2019年にはニューアルバムまで出して、現役バリバリでライヴ活動も行っているのだ。

Bad Religionは、いわゆるパンクバンドで政治や世界に対するメッセージがかなり濃いけど、そういう音楽をつくるってめちゃくちゃパワーがいると思う。怒りであったり、疑問であったりを抱かないといけないから。そしてそれらの感情はめっちゃパワーを使う感情である。それを一体、何十年続けているんや?!と思ったら、もう、Bad Religion----!!!!渋すぎる!!!!と改めて惚れてしまったのだ。

はまったらとことんやから、昔(そして最近のも)のインタビューを見たりしていて、

「メロディとリリックとどちらが大事と思いますか?」

という質問に対して。

「リリックやな。それが伝えたいことやから」

で、ごくりとつばを飲み込みながら聞いていると、こう続けた。

「でも、そのメッセージを聞いてもらうためにはいいメロディじゃないとあかん。だからもちろんいいメロディをつくることが大事。」

と言っていて響いた。

発信することは意外に敷居が低く誰でもができるけど、それを全員に受け取ってもらえるとは限らへん。受け取ってもらってはじめてそこにこめたメッセージとかが伝わるんやから、結構な道のりや。

最近のインタビューでは、最新アルバムに対して「めっちゃいいのができたから、これが俺たちの最後のアルバムになったっていいと思えるくらいだ」と話していた。

いいものをつくる、か。

それを何十年と続けていて、今も全力でかっこいい。憧れるなぁ。ああいうかっこええ大人になりたい。

そして、もうひとつBad Religionにしびれたのは、初期のアルバム(80年代!!)を聞いた時に、音も声も若いけど、何曲かに1曲はすでにだれがどう聴いても「Bad Religion」なのだ。そんな一番最初からすでに芯が完成されていて、そのイズムをずっと抱えたままよりBad Religionになっていっているというそのブレなさを見た(きいた)時に震えた。

かっこええ、Bad Religon。コロナでこんな時代になってしまったけど、今後もしどこかで見られるチャンスがあったら絶対に見にいきたい。

2020-09-14

金縛り

 今住んでいる家にテレビはない。メヒコに住んでいた時から家にテレビはない。面白いテレビ番組もないしな。実家に行った時に見るくらい。お母さんも「テレビおもしろないで」というて、とりだめておいてくれた漫才とかをゆるくみるくらい。

家にいるときはYouTubeとかをみている。おすすめ動画に上がってきていたから見始めたVICEの動画の数々。特集されているのは

「知らんかった」

というトピックばかりで、人身売買やスラム街の話などで、この地球上ではほんまに知らんことが起こっているんやということを改めて目の前に突き付けられてぎょっとする。

それを1日に何本も続けてみていた夜は金縛りにあった。

頭は動いているのに体が全然いうことを聞いてくれなくて、それを冷静に「あ、今金縛りにあってるな」というのがわかるという状態。わかってるけど、実際に体が動かへんというのは焦った。

また別の日、友だちが子供を連れて遊びに来てくれていたんやけど、その日は夜中に楽しげにでかい声で寝言を言っていたらしい。

何という短絡回路。でも、視覚なり聴覚なりの外からの情報が潜在的に頭の中に与える影響力、すごいなと思った。

そういえば、美輪明宏さんが言うてたな。美しいものを聞いたり見たり読んだりせなあかんと。気候も良くなってきたし、インプットの秋にしたいところ。


2020-09-11

コブラ会

 最近、Netflixの「Cobra Kai」にはまっている。

「Cobra Kai」は映画Karate Kidの公式な続編のドラマシリーズらしい。もともとはYouTubeオリジナルシリーズとして制作されていたらしいのだが、この間からNetflixでも配信が始まったようだ。

実はKarate Kidの映画は1本しか見たことがなく、ミヤギの「ワックスオン・ワックスオフ」くらいしか知識がない。Cobra Kaiの第1話をみ始めて、ダニエルがやり手のカーディーラーになっていて盆栽を顧客にプレゼントしてバンザーイなんて言っているのを見て、正直なんじゃこりゃと言葉を失ってしまったものの、2話、3話とみていくうちにすっかりはまってしまった。

回を追うごとにストーリーが出てきて、それぞれのキャラクターの人間味がにじんでくるのだ。それがなんというか、放っておけない。それぞれが人生を過去にとらわれながら、今それを乗り越えようとしていて、その辺のひたむきさと葛藤を自分ごとのようにハラハラと見つめて手に汗を握っている自分がいるのだった。ま、要するに、ドラマにまんまとはまってしまったというわけですが、私はほとんどドラマを見ないので本当、何年振りかにこんなにわくわくとしてシリーズを見ていて、それを客観的にみるともはや笑えてくる。メインキャラクターの一人、ミゲルくんがメヒコ人友達のアルくんに似ているところや、まったくぶれずに80年代のテイストを振りまくジョニーのブレなさになぜか心をつかまれて、思わず肩入れをしてしまっているのだ。(ちなみに、個人的には80年代のロックとかはあんまり好きではない。)

いい調子で見ているとシーズン1、2をあっという間に見終えてしまった。めっちゃいいところで終わったというのに、シーズン3はまだ出ていないのだという。

2021年まで待てと。

そんな!あほな!2021年というたった12か月もあるじゃないか。せめて何月ごろなのか教えてくれよ!と夫に詰め寄ったりしている。そんなことを言われても彼はもちろんそんなことは知るわけはないので、「ははは」と苦笑いを返されてしまった。

2020年はもう十分いろいろなことが起こりすぎているから、はやく2021年になってCobra Kaiのシーズン3が見られるようになってほしいなと願ってやまない。

2020-09-10

11年のあるけどない空白

 最後の投稿が2009年の6月23日。今日は2020年の9月10日。

11年前のブログをあけた。昨日くらいからぼんやりと考えていたのは、久しぶりにブログでもなんでも、記録を文章で残そうかな、ということを。

11年経って、インターネットなどの技術もあり方も随分と変わり、いろいろなプラットフォームもできていて、私もinstagramやfacebookなども使っているけど、ここにきてそれらのSNSと呼ばれるサービス、その中でも特にfacebookにはうんざりしているのだ。一番最初にあれがあらわれた時は、海外のユーザーの方が多かったから離れて暮らす友達と連絡をとったり近況報告をしたりするのに便利に使わせてもらっていた。だんだんその様子も変わり(まぁ、みんなそれぞれ忙しくなってネットにいろいろ載せている場合ではなくなった)その意味合いは薄れ、自分の中で「備忘録を残すやつ」的な使い方をしていた。しかし最近はなんか、開けばウォールにあふれる様々な人のランダムな投稿と、巧妙に、というか、もはやえげつない割り込み方でお尻を入れてくる広告にうええっっとなりつつ、それでもたまに漫画の広告なんかが入っていたらついついスクロールの手を止めてみている自分もいて、くっそー、思うつぼかよ!!と舌打ちをしながら、その返ってこない無駄な時間を自分を恨めしく思っているといったありさまだ。ニーズからずれているから、気持ちも持っていきようがなくなってしまって疲労困憊。といった状況。

発信するという点で新しいプラットフォームを開拓してみようかという気持ちもないことはなかった。noteとかは気になっているプラットフォームの一つだったからどんなものかとのぞいてみた。でももう一度なんで文章を書く「何か」を探そうとしているのかを自分に問うた。

考えたことを書き留めておきたい。

すべての人がそうなのかは知らないけど、私は自分自身の書いた文章が面白いと思う。11年前のこのブログを適当に読みかえして、忘れていたこともたくさんあった。例えば、ある日「おちゃっぴい」という新しい単語を国語辞典で知ったらしいのだ、私は。そんな言葉聞いたことないし、この先日常会話の中で聞くことがあるのかわからないけどぜひ聞いてみたいと思っていたらしい。

■実用日本語表現辞典より 
お茶っぴい
読み方:おちゃっぴい
別表記
:お茶っぴー、おちゃっぴー、お茶っぴい、おちゃっぴい

(1)女の子がおしゃべりな様子を意味する語。お茶っぴいはおしゃべりな女の子を指す場合もある。遊郭では客がつかず暇な遊女にお茶出しをさせており、そのような遊女はおしゃべりな者が多かったことに由来する。
(2)働きの割にお金にならないことを意味する語。
そんな気持ちも、そしてそんな言葉すら忘れていたけど、実家暮らしで近くに国語辞典を置いて生活していたその環境っておもしろいな、と思った。ちょっと今度実家に行ったら国語辞典を持ってこようといま考えているくらいだ。ちなみに、この11年間の日常の中で「おちゃっぴい」という言葉に出会う機会はなかった。この言葉と気持ちを思い出したゆえに残念な気持ちが少しめばえる。不思議なことだ。

文章を書くのは時間をとられることだ。写真を携帯でぱっととってそれを載せるよりもずっと。メッセージを送りあえるスピードは11年前よりもずいぶんと早くなった気がする。それに反していまだにペンをとって手紙を書いたり、e-mailをかなり寝かせて、LINEのメッセージすら寝かせてから長文で返す、なんていうことをしている自分を客観的に見るにつけ、たぶんそういうことが好きなんだろうなと思う。と同時に、その中でしか伝えられない何かがあってそれをできるだけすくって伝えたいと潜在的に思っているのかも。その癖に、「内容が無いよう」な手紙を受け取った人を困惑させているのも事実である。

ともあれ、11年前の誕生日、私は27歳になっていた。ネパール人と一緒にインド料理屋で働いていた。その後私はメヒコに渡った。今は38歳になって日本に住んでいる。そして何かを書きたいと思っている。例えば、「コブラ会」について。あるいは「金縛りにあったこと」について。どうでもいいような、どうでもよくないようなことを全く自分のためだけに書くのならノートにしたためてもいいはずだけど、誰かに見られるかもしれないという緊張感をちょっと加えて、飾り気なくちょっくらメモしていく。

今日は先日メルカリで頼んだ商品が届くと思うから楽しみだ。

2009-06-23

GDL

いやぁ、やっぱりグアダラハラはでかい町やわ、と今日はつくづく感じた。

今日は、父の日やから教会に行ってる友だちが「持ち寄りパーティやから、誰でもきていいみたい」ということで「ただの食べ物」というフレーズに弱いあたしともう一人の友達はのこのこと教会に出かけていった。
教会、みんなええ人で、自分のよこしまさが自分ではっきりと見えるよなぁ~。はは。まぁ、それはおいといて。
持ち寄り食、メキシコ料理あり、日本料理あり、そしてデザートまであって、もりもり食べてきた。
いやぁ~、うまい。うまいうまい!!
ほんで、ご飯を食べながらしゃべっている時に「グアダラハラのほかにどこも行ったことがない」というと、一人のマダムが「じゃあ今からチャパラに連れて行ってあげようか??」と言うてくれて、ノリで言うてんのかと思ったら、「早速行きましょう!」ということになった。

チャパラは、グアダラハラから車で1時間ほど離れたところで、湖に面した小さな町。
人が多かったけど、水辺のほうから吹く風が気持ちよかったし、アイスクリームもおいしかった。
それから、アヒヒックというこりゃまた湖に面した小さな町に連れて行ってもらったけど、ここがよろしくてよろしくて!!!!
なんか、ほんまにこじんまりとしていて、でも必要なものはそろっていて、何より、水がある街って素敵。
そこで、道端の露店で手作りのアクセサリーを売っている日本人の旅人に遭遇。
もう4年もそう言うことをしながら旅を続けているんだそう。
旅人特有の、ふわりとしていてそれでいて町の風景に溶け込んでしまいそうな、緩やかな雰囲気が素敵な人やった。
それに比べれば、この国にまだまだ馴染んでないなぁ~、あたし。

さらに、帰りがけに名前を忘れたけどこりゃまた小さい街によってもらった。
なんか、教会のほうでイベントがあったのか、しきりに花火(音だけの)がドンドン鳴り響いていて、何事かと思った。
バンドの演奏もあったり、ソカロ(どの街にもあるらしい街の中心にある休憩所??ベンチがいっぱいあるところ)にそのバンドがやってきてなにやらやかましく演奏していった。
それを、ピザを食べながらぼんやりとみたりして、いやぁ~、いい。
この、手におさまる感じのこの大きさ、ええなぁ。
小さい街にひかれるのはやっぱり、自分がそんなに大きな町で育ってへんからかなぁ~?!笑

なんか、水辺とソカロのベンチとレモン味のアイスクリーム(こっちに来てから、レモン味、はずれなし!!!!!)があれば、ええなぁ……。
まぁ、それは理想。
かつて、日本に住んでいたその友だちに「もっと旅行とかせえへんの?」と聞いたら、「日本には旅行するために来たんじゃなくて、住むためにきたから、この町を楽しんでいる」と言われた。
その言葉の印象が強すぎて、そしてその町をベースに楽しんでいたその子を思い出すと「外国に住む」ということに対しての意識が、今回は「その町に住む」というところに重点が置かれている気がする。
あそこも、ここも、と色々見たい気持ちもあるけど、まずは自分の住んでいる町に暮らすことを楽しみたいと思う。
自分の住んでいる町は確かにでかい。
でも、ちょっと足を伸ばせばあんなにも魅力的な小さな町がある。
メキシコ中に思いを馳せる前に、ここはひとつ、この州をもっと深く探検して知ろう。
……いや、その前にもうちょっと早く起きる習慣をつけて、時間を有効に使わねば。うむ。
う~ん、脈絡も説得力もないけど、とりあえず、今思ったこと。

2009-06-12

Una dia!!

さてさて、今週も残るところは金曜日のみ!!というわけでして。ジェットコースターのように毎日が駆け抜けてゆく。試行錯誤、準備したかと思えばそれがうまくいかへんかったり、反対にあんまり準備できてなくてやっベー!と思っていたときに妙に食いつきが良くて驚いたり、う~ん、なんか複雑や……!!!!笑

今日、ようやっとこさ読み書けやった本が読めた。妹尾河童著「少年H」。……いまさらかい、というこの絶妙のタイミング。当時は、なんかえらい話題書になっていたけど、だからこそ自分は読まんでええわと思ってしまう天邪鬼助な私ですが、河童が覗いたインドを読んでしまったその後では「妹尾河童」と名が付くだけで、無条件に読みたくなる、これが人情です。河童さんは、神戸出身の人で、少年Hに出てくる地名を読むたび、これはあのへんやなぁ、と想像ができて、なんか暗い気持ちになった。

さぁ~、今週も明日一日でやったー!!そして、土曜・日曜だ~!!!と思っていたところ、不意の誘い。しかも日曜。気がすすまねぇなぁ~。友だちは今のところ同僚以外におらへんから、輪を広げたいなぁ~と思っているくせに、妙なところから声がかかると、言葉を着いて出るより先に、「めんどくせーーーー!!!!!」と露骨に顔が反応してしまう。ああ~、行きたくねぇなぁ~。まだ返事してへんけど。やっぱり、自分から動いて意かなあかんわー、と感じる。待っていても、ろくな誘いはない。(これは、断言。)……さて、日曜日のめんどくさい誘い、気が重い。

Temporary or forever

 久しぶりにFacebookをのぞいてみたけどやっぱりもうしっくりこうへんというか、無理というか。 アカウントを解除する、というやつにしてみた。将来的にまたONにするのかしないのか、それはわからへんけど、とりあえず今はもうええかな、と。